療養所を訪ねて⑩奄美和光園
「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」第5連絡会委員 福田 恵信
■南の島との交流
鹿児島県奄美市に国立療養所奄美和光園があります。奄美和光園入所者の皆さんと真宗大谷派の交流は、1998年に真宗本廟で開催された「第2回真宗大谷派・全国ハンセン病療養所交流集会」から始まりました。交流集会には奄美和光園入所者自治会長を経験された方とともに初めて参加しました。2004年には「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」委員有志の皆さんが、奄美和光園を会場に「自主交流集会」を企画して、入所者・職員とハンセン懇委員の交流会が盛大に開催されました。
その後も宗議会議員の皆さんや2回目となる「自主交流集会」など、これまで全国から多くの真宗大谷派僧侶の皆さんが訪問し、園の歴史を学び、入所者との交流を続けてきました。
■「有屋のサロン」と呼ばれた人たち
国立ハンセン病療養所の12番目として1943年に開園した奄美和光園ですが、開園当初は医師・看護師・職員の人員不足、病棟・生活棟は十分な設備が整わないまま、衛生面も悪い状況が続きましたが、1953年頃から新たな治療棟建設や人員不足解消など、療養所内の環境が整い始めました。
医師のひとりで国のハンセン病強制隔離政策に反対した小笠原登氏は、第六代馬場省二園長の要請で1957年に医官として就任します。翌年に日本画家である田中一村氏が奄美和光園を訪問しました。
和歌や俳句、書画を得意とする登氏と一村氏は、すぐに意気投合し、一村氏は官舎の一室で生活するようになり、園内で絵画活動に専念しました。しばらくして園の一室には人が集うようになり、その姿は多くの入所者の方が見ておられました。
2013年11月16日に国立療養所奄美和光園創立七十周年記念講演会が開催され、一村氏の研究調査を続けている美術評論家で安野光雅美術館館長(当時)の大(おお)矢(や)鞆(とも)音(ね)氏が「奄美和光園と田中一村 奄美作品揺藍の地」と題して講演されました。氏は園内の一室に集う人々の姿を「有屋(※)のサロン」と評し、一村氏の奄美大島作品が生まれるひとつに奄美の自然と奄美和光園の環境があったと話されました。
※「有屋」~国立療養所奄美和光園の旧所在地名
■奄美和光園の将来
奄美和光園の所在市である奄美市が事務局となり、入所者の減少と高齢化が進む中、国立であるハンセン病療養所の今後の将来構想策定に向けて、奄美和光園長・入所者自治会長や有識者で構成された奄美和光園将来構想検討委員会を2003年に発足させ、その後作業部会を設置して具体的な構想について検討協議を重ね、2011年に同委員会が「国立療養所奄美和光園将来構想(最終案)」をまとめました。
内容は1「医療・看護・介護」2「社会とのつながり」3「啓発」の三本柱からなり、それぞれ方向(方針)を立てて、具体的な取り組みとして短期(3年以内)、中期(5年以内)、長期(6年~)と細かな項目を出しています。
本年2月に開催された「ハンセン病問題を考えるシンポジウム」は、「ハンセン病問題に関する懇談会」第5連絡会が中心となって、奄美大島を会場にオンラインで行われました。
「奄美和光園の現状と将来構想」について、全日本国立医療労働組合(全医労)奄美支部長の福崎昭徳氏は、「高齢化が進み、ハンセン病による後遺症に加え合併症や認知症の併発など不自由度が増す中、入所者全員が安心して生活が送れるよう医療・看護・介護に努めています」と現状について報告し、懸案の将来構想については、「最終案の「短期」として掲げている地域とのつながりや、「中期」の一般外来診療病床の確保の入院の目標は達成していますが、「長期」の和光園の永続化については、方向性が全く見えないのが現状です」と訴えました。
1998年7月31日、熊本地方裁判所に提訴された「「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟」と、2016年2月15日に同じく熊本地方裁判所に提訴された「ハンセン病家族国家賠償請求訴訟」の弁護団共同代表である德田靖之氏は、奄美和光園と共に歩む会(ハンセン病問題に取り組む市民の会)が主催した「ハンセン病を正しく理解する講演会」で、「療養所全体を人権について学ぶ場として残さなければならない」と次世代へ語り継ぐ必要性と、「皮膚科の一般外来診療は地域にとって必要不可欠である」「ハンセン病医療に尽力した小笠原登医師と交流のあった画家田中一村の資料館建設」など、園存続の意義を訴えました。
全医労奄美支部では德田弁護士や他の弁護士と共に、奄美市・奄美市議会・奄美市医師会に対し、奄美和光園の将来構想・永続化に向けて陳情要請を行っています。
昨年交流会館(資料館)が完成し、園内整備の充実と和光園の歴史を伝える跡地等に説明文が書かれた掲示板が設置されました。
奄美和光園の入所者数(2021年9月現在)は18名で、平均年齢は86歳を超えていますが、今後も入所者が安心して暮らすことが守られ、医師・看護師・職員の雇用が保障されることにより高水準の医療・介護・看護を保つことができることでしょう。1983年から地域医療に貢献するために始まった皮膚科一般外来診療では、奄美本島や離島から1日約30人が診察に訪れ、入院診療(四床)も可能になりました。地域にとっては身近な医療機関であり、国立としての機能を維持しながら、人権を学ぶ場として次世代に確実に残しておかなければならない療養所です。
(新型コロナウイルス感染症対策で、一般外来診療は通常通りですが入院診療は休止。園の施設訪問や見学は現在休止中 ※2021年9月時点)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2021年11月号より