描かれ語られた現如上人北海道開拓
(松金 直美 教学研究所研究員)

東本願寺第二十二代現如げんにょ上人(一八五二~一九二三)は、東本願寺による北海道開拓を先頭に立って進めた人物として知られており、その歴史的検証は重要な課題である(拙稿「現如上人と北海道の開拓・開教」『真宗』二〇二二年二月号)。その道中については、錦絵に描かれ、文芸作品としても語られることで、世に広めようと努められてきたのであった。
 
では現如上人北海道開拓について、度重ねて描かれ語られてきたのはなぜであろうか。
 
一八七〇(明治三)年二月十日に京都を出立した十九歳の新門・現如上人とその一行は、同年七月に北海道へ到着した。
 
その翌年の一八七一(明治四)年二月、東京の甘泉堂が「現如上人北海道御開拓錦絵」などと称される錦絵(二十枚)を発行した。
 
錦絵には、現如上人とその一行のみならず、和人・アイヌも含めた様々な人々がともに描かれている。特に錦絵の一枚である「本府御酒被下之図ほんぷごしゅくださるのず」は、現如上人がアイヌの人々に六字名号を授与する様子を描くが、その構図が差別的であるとして問題視されている。
 
そのことを踏まえた上で、アイヌの人々が、伝統的なアイヌの風俗そのままに描かれ、この場に「大通弁」(通訳)がいたと記載されていることに着目したい。アイヌ文化を持ち、アイヌ語を話す人々への教化が、どのように行われていたかを考えるきっかけとなる絵図とも言えるのではなかろうか。
 
明治初年頃、大谷派内から発行されていた雑誌『法話』に、「北海奇聞 苫屋とまやの夢」と題する文章が掲載された。のちに高橋寿太郎『北海道東本願寺由来』(北海道東本願寺由来編纂事務所、一九一二年)へ採録され、さらに大谷派機関誌の『真宗』へ「北海記聞 苫屋の夢」(『真宗』一九二九年四月号~六月号)と題して転載された。それは船で遭難したであろう父を探すため、北海道まで現如上人一行のお供をした、越後の親孝行な息子を主人公とした物語である。現如上人一行の行跡は、越後の一門徒の人生に絡めて語られた。
 
親鸞聖人や蓮如上人の行跡は、絵伝などに描かれ、様々な伝承をもって語り継がれている。各地を行脚して門徒を直接教化したエピソードも多い。現如上人による北海道までの道中や北海道内での巡教も、御剃刀おかみそりによって真宗に帰依する人や、道場・寺院といった聞法の場を生みだし、それが語り継がれてきた。
 
現如上人北海道開拓が描かれ語られ続けてきたのは、先人の苦労を偲びつつ、一人ひとりが真宗の教えに生きる喜びを投影できる物語と受け止められてきたからではないか。
 
(『真宗』2022年3月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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