「鎌倉殿」の千葉常胤と親鸞聖人
(御手洗 隆明 教学研究所研究員)

今年の大河ドラマは鎌倉時代を舞台とし、鎌倉幕府を合議制で支えた十三人の御家人を中心に描くという。物語は最初の「鎌倉殿」こと源頼朝の幕府創設以前から始まるのであるが、頼朝の挙兵に参じ、活躍した武将の一人である千葉常胤(一一一八~一二〇一)が登場している。
 

常胤は下総国相馬郡(茨城・千葉の県境付近)を領し、頼朝に従って軍功を挙げ、やがて下総国守護となり、陸奥国行方郡(福島県南相馬市・飯舘村)にも領地を獲得し、御家人の重鎮として頼朝に信頼された。常胤は、千葉市の礎を築いた(千葉開府)千葉一族の「中興の祖」として知られている。
 

宗祖親鸞が関東の武将と親しかったことは知られており、この常胤とも接点があったという。本願寺派善通寺(東京都)の縁起によると、常胤は「曼陀羅阿弥陀」を「守本尊」としていたが、「親鸞関東化導の時、常胤如来の名号を所望にまかせ、親鸞すなはち書して与へり」と、名号本尊を授かった。その二つの本尊を、常胤の子孫である宗胤(一二六五~九四)は「弥陀の夢告」によって家臣の秋元胤次に与え、胤次は善通寺の開基となったと伝える(『新編武蔵風土記稿』巻之二八)。
 

あるいは、阿弥陀如来像を「守本尊」としていたのは常胤ではなく宗胤で、その没後は家臣である胤次が所持していたが、のち に宗祖に帰依して十字名号を授けられ、善通寺の開基となったとも伝わる(『江戸名所図会』第七巻)。
 

いずれも宗祖の関東滞在期間とは年代が合わず、伝承の域を出るものではないが、この善通寺は関東で展開した親鸞門流の一つである荒木門徒系「小松川門徒」の拠点とされている(津田徹英「南関東の親鸞像」『江戸川区の仏像・仏画』)。宗祖の関東伝道を記憶にとどめるために生まれた伝承の一つと考えてよいだろう。
 

この常胤ら千葉一族と浄土真宗とのつながりには、まだ先がある。常胤の次男師常(一一三九~一二〇五、相馬氏の祖)は、下総国相馬郡など本領と陸奥国行方郡の領地を受け継ぎ、その子孫重胤(?~一三三六)の代に行方郡に移り、重胤は「奥州相馬氏」の祖となる。この相馬氏による領有は、江戸時代の相馬中村藩を経て明治四年(一八七一)の廃藩まで続いた。
 

その途中、江戸後期の大飢饉による災害で二度にわたり荒廃したが、北陸など真宗優勢地帯より入植した門徒農民(真宗移民)のマンパワーによって復興し、それより領内に浄土真宗の教線が広まり、現在に至っている。この地に真宗信仰を根付かせたのは、教団組織による布教ではなく、移民門徒が伝えた真宗の生活であった。
 

宗祖と同時代を生きた千葉一族は、現在もその旧領である千葉市と相馬地方(相馬市・南相馬市)をつなげている。二〇一一年の東日本大震災や二〇一九年の台風十五号・十九号などの大災害時、たとえ双方が被災し復旧中であっても互いに支援を欠かさないのは、共に千葉一族ゆかりの地であることの記憶による。歴史は、失われることがあっても、人々の記憶によって何度でもよみがえる。
 
(『ともしび』2022年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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