ハンセン病問題解決への視点と課題

福井教区第四組仰明寺住職 蓑輪 秀一

■私たちが生きる社会を見つめて

 今、ハンセン病問題の解決の糸口を考えるとき、私たちが現在どのような社会、世界に生きているか、どのような意識で暮らしているのか見つめる必要がある。何故なら、この問題は国のあり方や、その時代社会に生きる大多数の人々の総意が生み出したもので、解決のためには、問題の背景となる過去と現在の社会状況はどう変わったのか、変わっていないのかを照らし合わせることが大切であると考えるからだ。

 少々現在の状況を見てみると、2020年に新型コロナウイルス感染症が世界的な流行となってから2年以上が経った。この間、私たちは感染症対策等によって、社会生活の大きな変化を強いられてきている。

 先の見えない現状に人々が憔悴している最中、燻っていたロシア・ウクライナ危機は今年2月、とうとうロシアのウクライナ侵攻へと発展した。この報道が加熱する中で、ふと気になって世界の紛争や戦争を調べてみると、一言ではまとめきれない多くの武力紛争が現在も進行中で、そのことに思いをはせることができない私の日常と無関心さに悶々としてしまう。

 戦争が繰り返された20世紀に対して、21世紀は「平和と人権の世紀」であることが強く願われてきた。それは世界中の誰もが異論はないはずだ。しかし、時間とともに風化していき、今やウクライナ危機によって国の政治家は防衛力のさらなる強化の議論に勢いづき、メディアも無批判に情報を流し、人々も呼応しSNSで増幅する。全てのメディアやSNSを否定するわけではないが、何気ない日常の会話からも、ロシアやその周辺国や民族に対する憎悪感が増しているように感じる。「日本の平和憲法、憲法九条によって理想を追求すべき」という声は「力で平和を実現する」という議論でかき消されてしまうかのようだ。コロナや経済状況に対する欲求不満とあいまって、ウクライナ危機が誘発する人々の不安や恐怖、憎悪がもたらす社会の結末のあり様を予感している人は少なくはないだろう。それは「いつでも戦争ができる国」、そんな準備が整った国の姿だ。

  

■啓発活動に必要な視点

 ハンセン病問題は、20世紀の戦争の時代の潮流であった優生思想に基づき、強い国であるためには人々の健康を増進させ、病者や障害を持つものを一掃し、それを国がハンセン病絶対隔離政策として実行した結果なのだ。さらにその政策は「無らい県運動」として地域の市民を直接の加害者とするはたらきを持ちながら、隔離されたもの、したもの両者の癒えない傷となって残った。現在のハンセン病に対する偏見や差別は、その傷が記憶となり、人々のまなざしとなって表出しているものと言っていいだろう。現在の状況を考えると、解決どころか同じ過ちを繰り返してしまいかねない「国」に戻ろうとしていると言える。

 差別問題の解消を考えるとき、20年近く前だが、德田靖之弁護士は「啓発活動に致命的に欠けているのは、何ゆえにこのような差別や偏見が生まれ出たのか、何ゆえにこのような隔離政策が長期に亘って続いたのかという、国に対する批判と社会全体の自己批判という視点です。これがやはり欠けていたのではないか」(『いま、共なる歩みを─ハンセン病回復者との出会いの中で』186頁)と、差別解消に向けた啓発活動に欠けていた視点を表現されている。現在、「ハンセン病問題はもう解決したのではないか」「あの時は隔離政策は必要だったのではないか」「療養所がなければハンセン病患者はさらに差別を受けたのではないか」といった声が聞こえる。果たしてそうだろうか。啓発活動のみに限らず、その視点が欠ければ、隔離した者は、あの時はしょうがなかった、必要だったと自己肯定し、ハンセン病問題は問題として消滅し、「悲しい歴史」として姿を変え、差別と偏見だけが残ってしまうであろう。

  

■ハンセン病問題の三つの課題

 「らい予防法」の廃止、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の熊本判決、その間、大谷派は「ハンセン病に関わる謝罪声明」を表明し、以後「ハンセン懇」や教区、宗派に関わる多くの者が、「台湾・ソロクト訴訟」「ハンセン病基本法」の制定、「家族訴訟」等を通して、全国・海外のハンセン病回復者やその家族・親族、また弁護団や様々なジャンルの支援者との「交流」を通して、多くの顔の見える出会いをいただいてきた。その出会いは、教団の歴史、教学・教化のあり方を根こそぎ問うようなものであった。先述の德田弁護士の言葉の「国」と「社会」を「教団」と「教学・教化」に置き換えたら何が見えるだろうか。その時、謝罪声明の前後で変わったこと、変わらないことが見えてくるに違いない。

 ここで宗派がハンセン病問題に取り組むにあたって、いくつか課題を提起しておきたい。一つ目は、様々な手法で「交流」のあり方を模索し続けるということ。コロナの流行の先が見えない中で、特に「交流」や療養所でのフィールドワークが困難となっているが、現場に学ぶことは、資料で学ぶよりも、問題の深刻さや大切さを肌で実感することができる。入所者が激減する中で今しかできないことを残さないためにも、「交流」の模索は必要である。

 二つ目には、療養所の中にある「お寺」での活動の未来を考えること。お寺の中で、隔離に宗教的な意味を与え説いてきた責任をとるということだ。謝罪声明の表明以前より回復者と交流を続けてこられた東京教区の酒井義一さんは、多磨全生園のお寺に通う入所者がいなくなり、お寺が園に返されたとしても、本尊を維持し、園での真宗の行事は継続していきたいと語られていた。改めて気づいたことは、取り組みにしても行事にしても、決して「してあげる」ことではないということだ。同じ過ちを繰り返さない。そんな私たちにとってのものとして、さらに未来の宗門人に向けて「伝える」ための取り組みとしていきた
い。

 三つ目は、教団として「できたこと」「できなかったこと」を総括すること。それは謝罪声明の中で、国に対してはハンセン病問題を国民的課題として「学習」と啓蒙活動の展開を要請し、内においては「教え=ことば」が人間回復・解放の力となり得るような、生きた教えの構築と教化を課題として取り組むと表明したことが達成できているのかいないのか確認する責任があるからだ。数えればきりがないが、国や市民の責任が明確になった判決や法律ができても、ハンセン病回復者の家族と知れて離婚に追い込まれるケースや、知れることを恐れて賠償金を受け取れない家族訴訟原告が多いことからも、とてもハンセン病に対する社会の差別・偏見は解消されたとは言えない。  私たちはハンセン病問題を生み出した「戦争できる国」を問い、批判する視点を持ち得ることができるのか、真の解決がくるその時まで課題として取り組むことができるのか、多くのハンセン病回復者の人々の心の底からの願いとして、今も問われている。

  

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年7月号より