蛇が旧い皮を脱ぐように
(宮下 晴輝 教学研究所長)

驚いた。それはパンニャ・メッタ・サンガ会長のマナケ・サンガラトナさんとの出会いである。彼は、いま六十歳くらいであるが、インドと日本を繰り返し往復し、インドのナーグプールの仏教寺院で教化活動にあたっている。インドのナーグプールという町は、一九五六年十月十四日に、アンベードカル(一八九一〜一九五六、インド独立後の初代法相でありインド憲法起草委員会議長)が三十万人ともいわれるマハール=カーストを中心とした不可触民(チャンダーラ)の人々とともに、三帰五戒を誓って仏教徒に改宗した記念すべき場所である。マナケさんの両親も一緒に仏教徒になったという。彼は両親からそのときの話を直接聞いている。
 
そしてもう一つ驚いたのは、彼の父親は、マハール=カーストの中の司祭者という役割だったということだ。ブラーフマナ(婆羅門)たちは不可触民の村に入って冠婚葬祭の仕事をしないので、不可触民たち自身でその司祭者の役割をになって、不可触民の司祭者となっていたようである。
 
まして驚いたのは、いまや高名なかたであるが、比叡山の回峰行をなし終えて、さらに道を求めてインドに赴いた天台宗の僧が、マナケ少年の家に滞在して、その少年を比叡山に連れ帰って、日本で教育を受けさせ、やがて叡山学院で学ばせて天台僧になるまで育て上げたのである。十五年が経っていたそうだ。故郷のインドに帰った時、ご両親は健在であったが、彼は故郷の言葉を忘れてしまって話ができなかったという。その後、二年おきに日本を往復し、ナーグプールに彼の教化活動のため、僧院が建てられている。
 
アンベードカルの仏教改宗以降に生まれたインドの仏教徒は、仏教教義の基本をスリランカの上座部仏教にしたがって学んでいる。だから出家僧を中心にした仏教である。アンベードカル自身は『ブッダとそのダンマ』(The Buddha and His Dhamma,1957)を書き残しているが、出版前の一九五六年十二月二十六日に生涯を終えた。その書の内容の多くはスリランカ上座部仏教によるものであるが、彼自身の願いを成就するかのようにまったく自由に仏陀を物語っている。そして最後に『宗教・倫理百科事典』から世親の『浄土論』の英訳(姉崎正治訳)の一部を引いて終えている。そんな自由さもあってか、いまなおアンベードカル菩薩と称えられている。
 
マナケさんは、日本の生活文化の中で、日本の天台宗の仏教を学んだ。インドでは、厳格な出家僧による仏教こそが仏教であると考えられている。これは私の推測であるが、おそらくマナケさんは、日本の仏教と現地の仏教との間のギャップの大きさにずいぶんと苦労されているだろうと思う。
 
日本の仏教は、そのままに、世界には通用しない。世界から伝来し伝統されてきたのであるが、再び世界と出会うためには、宗祖宗派への固執を捨てて、〝教主釈尊〟を生み出した根源に帰らなければならない、蛇が旧い皮を脱ぐように(『スッタ・ニパータ』「蛇の章」より)。

(『ともしび』2022年11月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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