親鸞聖人の報恩講

著者:長嶋明子(京都教区願證寺住職)()


報恩講は、親鸞聖人が生涯をかけて伝えてくださった念仏の教えを聴聞し、信心獲得が願われてお勤まりになる真宗門徒にとって最も大事な御仏事です。信心獲得することが親鸞聖人への報恩謝徳となるのです。


思い出してみますと、私が小学生の頃は、講師の先生が私のお預かりしているお寺に宿泊されていましたので、お風呂の掃除をしたり、火鉢を運んだり、廊下の雑巾がけなどをしていました。ご門徒方はお斎の準備や幕を張ったり、仏具のお磨きをしてくださっていました。「ああ、今年も大事なことが始まるんだ」と幼心に感じていたことです。


今、住職のお役を賜り、毎年報恩講に遇わせていただくと、知らず知らずのうちに無数の縁に支えられ、育てられ、共に歩んでくださった方がおられることを思います。そのお一人が親鸞聖人です。

親鸞聖人は主著である『教行信証』の中で、私共の人生を「難度海」と表現され、『高僧和讃』には、

生死の苦海ほとりなし

  ひさしくしずめるわれらをば

  弥陀弘誓のふねのみぞ

  のせてかならずわたしける

  

意訳…生死の苦海は果てしなく限りが無いのです。苦悩に沈没している私たち凡夫を、ただ弥陀弘誓の船のみが救ってくださいます。

とうたわれています。どこから始まったのかわからない遠い過去から、迷いに迷いをかさね、そこから出る術を知らない私たちが、阿弥陀仏の本願の船に乗せられて、お浄土に渡していただくのです。


迷いを迷いとも気づかずにただ名利を求め、気に入らないことがあると毒を吐く。何もかも自分の力にすりかえていく憍慢心。この恐ろしい私が自分の姿に気づかされ、聞き難い仏法を聞くご縁をいただいているのは、ひとえに釈迦弥陀二尊、諸仏、親鸞聖人からのお育て、遠き宿縁によるものであると教えていただくのです。

一人居て喜ばは二人と思うべし。二人居て喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり。

(『御臨末の御書』)

意訳…一人で念仏を喜べば、二人と思いなさい。二人で念仏を喜べば三人と思いなさい。その一人は親鸞です。

 
極悪深重の私に寄り添い、そばにいて導いてくださる親鸞聖人。念仏に生涯を貫かれ、世間の評価を目標とせず、自らを「愚禿」と名告られて、一緒に歩んでくださる親鸞聖人は、生き生きと私の中ではたらいておられます。


「帰命せよ、阿弥陀仏に」と呼び続けられているそのお方と、報恩講を機縁にまた、南無阿弥陀仏の中で出遇わせていただきます。

 

東本願寺出版発行『報恩講』(2019年版)より

『報恩講』は親鸞聖人のご命日に勤まる法要「報恩講」をお迎えするにあたって、親鸞聖人の教えの意義をたしかめることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『報恩講』(2017年版)をそのまま記載しています。

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