寺院活性化支援室 過疎・過密地域寺院教化支援では、寺院活性化支援員を派遣し、お寺の現状や課題、要望をていねいにお聞きし、寺族と門徒と一緒に教化の取り組みを考えています。

過疎・過密地域寺院教化支援の支援員の養成のため、事務局含め総勢5名で髙福寺(下山地区)さま、宗恩寺(足助地区)さまで、お話をお聞かせいただきました。

②では、宗恩寺さまでお聞かせいただいたお話を掲載します。

【岡崎教区第28組宗恩寺さま2023年3月6日】

宗恩寺さまは豊田市の山間部にあり、東海地方の紅葉の名所である香嵐渓のすぐ近く、国の重要伝統的建造物群保存地区・足助の街並みを見下ろす高台に位置します。足助八景の一つ「宗恩寺の晩鐘」として知られ、除夜の鐘の時には、80名ほどの方々が撞きに来られるそうです。

また、宗恩寺道(マンリン小路)という街並みからお寺に向かう道があり、大正時代の雰囲気が漂うこの小路は、宿場町足助有数のフォトスポットです。

境内は落ち葉一つ落ちていなく、とてもきれいに掃除がいきとどいていました。本堂の縁も長年の蓄積からかなり苔がついている状況だったそうですが、毎日のように磨いてきたというお話通りにきれいになっていました。

【なんでもできることは自前でやる】

当日は、鷹見耕住職とご門徒の鈴木くにおさん、山岡さん、鈴木たろうさんがご参加くださり、お寺の状況をお聞かせくださいました。

61年担われた前住職が2022年1月に亡くなられ、2022年6月に住職に就任された鷹見耕住職。西尾のお寺から入寺されたことのこと。前住職が一手にお寺のことを担っていたので、まだなかなか分からないことが多く、調べたり、聞いたりすることの連続だそうです。そして、なんでもできることは自前でやってきたとのこと。

宗恩寺さまは、1629年新町道場として60坪で足助の街並みの中に開かれ、1829年に現在の高台に移されたとのこと。その後、立派な石垣、鐘楼、庫裡など順次作られていき、現在の住職は21代目とのこと。

門徒数は近年大きく減少傾向にあり、一番の悩みは駐車場がないことと、足助の街並みからお寺まで続く坂。有料の本町駐車場から450mあり、高齢のご門徒が多い中では車を置くにもお金がかかるし、歩いても距離があるし坂があって大変だと言われてしまうそうです。

また、街並みが古いので古くから住んでいる方が多いと思うかもしれないけれどもそうではない。足助は、江戸時代から昭和初期まで三河湾から長野の塩尻まで塩を運「塩の道」の中継地点として、物資運搬や庶民通行の要所として栄えた商家町であるが、街に賑わいで他所から新しく人が入ってきているから、お家の歴史としては浅くて2代目、3代目の方がご門徒として多いとのこと。聞いてみないと分からない意外なことが分かりました。

そして、仕事、学校、買い物など生活するための環境という面では豊田市の市街地の方が便利がいいので若い世代が流出しており、世帯としては、高齢の方の夫婦や一人暮らしが多いとのことでした。

昭和20年代と比べると、近隣の小学校も850人→80人、近隣幼稚園も子どもがわずかで近隣子ども園も入園募集を停止したとのこと。

一方、足助の街では「中馬のおひなさん」「足助春まつり」「足助まつり」「香嵐渓もみじまつり」と年間通して人が集まるような行事を行っている。※地元住民としては渋滞がかなりして困るところ

【年中行事】

年中行事としては、報恩講(12月8.9日)、永代経(7月2日)、修正会(1月1日)、彼岸会、除夜の鐘を行っており、門徒宅へのお参りは月参り・お盆参りとのこと。お寺に集まる行事は日で決まっているので参詣がどうしても少ないのが悩みとおっしゃられていました。(駐車場と坂の問題もある)。

【将来に向けて】

これからも続けていきたいこととして、月参りでのご門徒とのコミュニケーションを一番に挙げられ、一緒に正信偈を読む、御文を読むということもしている。少しでも、『仏説無量寿経』や『正信偈』のお話を伝えていきたい、いのちのつながりやこころのつながりを感じるお寺にしていきたいと述べられました。

また、反応はちょっと薄かったけど、『真宗宗歌』『恩徳讃』をはじめとした仏教讃歌には教えの大切な要素が凝縮しているのでみんなで歌っていきたいという思いがあるとおっしゃられていました。

宗恩寺さまでお話を進められていく中で、寺院活性化支援室として必要に応じて何らかのお手伝いをしていきたいと思います。