284,359枚

これは、御影堂175,967枚、阿弥陀堂108,392枚の瓦の総数です。

一般家屋に()かれる平瓦は縦横約30センチ、重さが2.6キロに対して、御影堂の平瓦は縦約53センチ、横41センチ、重さ12.7キロと巨大なものです。御影堂には平瓦をはじめ約30種類の瓦が葺かれ、甍の波を形作っています。

 瓦の技術は6世紀頃に仏教とともに伝わったと言われています。『日本書紀』には、588(崇峻(すしゅん)天皇元)年に百済(くだら)から4人の瓦博士が渡来したとの記述があり、奈良の飛鳥寺(あすかでら)の瓦が日本最古のものと伝えられています。

 現在の御影堂は、1864(元治(げんじ)元)年の禁門の変により焼失した後、1895(明治28)年に再建されました。そして、瓦は三河(みかわ)古新田(こしんだ)(現在の愛知県西尾市志貴野(しきの))で作られ寄進されました。製瓦は1881(明治14)年から約6年にわたり、のべ36万人のご門徒が30万枚以上の瓦を造りました。

古新田の製瓦場所に立つ碑
耐震のため空葺工法で葺かれた

 この古新田が選ばれた理由は、日本三大瓦の一つ三州(さんしゅう)瓦の産地であったこと、また、港に近く海運の便がよかったことが挙げられます。三州瓦は近くには美濃みの焼や瀬戸せと焼、常滑とこなめ焼などの陶器の生産地も近郊にあり、良質な粘土が取れます。そして、交通の便の良さから1700年代には、三州瓦は全国に広まっていきました。その特徴に、渋く銀色に輝く「(いぶ)し瓦」があります。これは釉薬(ゆうやく)を使わず、焼成した後に(かま)の空気を遮断(しゃだん)して炭化水素ガスを発生又は注入して瓦をいぶし、表面に炭素膜を形成する技法です。

 のべ36万人のご門徒が製作した30万枚以上の瓦は、人々の願いとともに海を渡り、東本願寺まで運ばれました。

協力:寺本甚兵衛製瓦

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