名前を呼んでよ
(名和 達宣 教学研究所所員)

年末に妻子たちとテレビの音楽番組を観ていると、SUPER BEAVERというロックバンドが登場した。一度メジャーレーベルからデビューするも、二年で契約解除。その後、約十年間、インディーズ(自主レーベル)での苦節の日々を経て、再デビューを果たしたグループであるという。
 
歌い出されたのは「名前を呼ぶよ」という曲。サビのところで、曲名の「名前を呼ぶよ」という言葉が連呼されると、それを聞いた妻が「これ、南無阿弥陀仏のことじゃない?」と尋ねてきた。それに対して「なるほど」とうなずきながらも、「南無阿弥陀仏なら、同時に〝名前を呼んで〟ということがあると思うよ」と返答すると、その矢先に、続きの歌詞が聞こえてきた。
 

名前を呼んでよ 会いに行くよ   命の意味だ 僕らの意味だ

 

家族団欒の場で起こった偶然の出来事であるが、私自身が南無阿弥陀仏の名号をそのように受けとめるに至ったのも、家族からの教示による。
 
数年前、私は同居する父と、あることの方向性をめぐって大喧嘩をした。互いに正義をふりかざし、力み合い、そして大きな怒号をぶつけ合った。二人の娘たちに見聞きさせてはならないと思ったが、怒鳴り声は聞こえ届いていたようだ。
 
強ばった表情のまま妻子たちの待つ部屋に戻ると、当時、小学校低学年だった長女が、目に涙をいっぱいためながら、ただ次のように言った。
 

――「お父さん、詩織だよ。」

 

この言葉の出処には、思い当たるふしがある。
 
娘が生まれた時、今まで味わったことのない、言葉に表しがたい感情が芽生えた。その感情を何とかして伝えたい。そこで、私がとった行動は、とにかく娘の名前を呼ぶこと、そして「お父さんだよ」と名のることであった。
 
その後、娘が成長していってからも、無意識のうちに娘の名前を呼ぶ習慣が、身について離れない。特に、書斎で一人、考え事をしたり、執筆をしたりしていると、いつのまにか名前を呼ぶことが多々あり、時おり隣の部屋から「はーい」と返答する声が聞こえてくることもあった。ある時、娘から「なんで呼ぶの?」と尋ねられた時には、「お父さんは、詩織の名前を呼ぶと、心が安らかになるんだよ」と応えた。
 
おそらく、そのことを想い起こしたのだろう。「どうか私の名前を呼んでよ」と、痛切な思いを先の一言に託したのである。娘にとってどちらが正義かは問題ではない。心底より願ったのは、ただ家族が平和に仲良く暮らすこと。その願いから、目の前の惨状を憂い悲しむところから選びとられた方法が、名を発することであった。そしてその一言を聞いた途端、私の全身にみなぎっていた怒りや力みは解かれていった。
 
これは、ごく限られた関係性の中での経験であるが、一切衆生を憐れみ悲しみ、普遍的な平和を願うところから名のり出された南無阿弥陀仏と、同様の道理であるにちがいない。その名を称えるという大行は、「大悲の願より出でたり」(『教行信証』行巻)と教えられる。


(『ともしび』2024年4月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)


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