「誕生をよろこぶ」
(教学研究所研究員・松金直美)
親鸞聖人は、日野の里(京都市伏見区)で誕生したと伝えられています。そのことを記した最も古い文献は、一八二六(文政九)年に長州常元寺(山口県下関市、浄土真宗本願寺派)の聞歓(僧糠)という僧侶が書いた『聖人御降誕地由縁』(龍谷大学所蔵)です。そこには、親鸞聖人の誕生した御殿があったという日野の里に、なぜ「聖人御誕生寺」を建立したいのかが記されています。そして一八二八(文政十一)年に、聞歓らの尽力によって日野別堂(現・日野誕生院、浄土真宗本願寺派)が建立されていきます。
このように親鸞聖人の誕生日と誕生の地は、江戸時代になってから示されるようになり、次第に浸透していきました。
この『聖人御降誕地縁』では、親鸞聖人のみならず「大聖世尊」、つまり釈尊の誕生日と出興した理由もあわせて確かめられています。
釈尊が世に出興した日は四月八日で、それは「唯説弥陀本願海」(『真宗聖典』二〇四頁)、つまり、ただ阿弥陀如来の海のような本願を説くためである、と『正信偈』の一節に即して述べられています。それに続いて、親鸞聖人が出世(誕生)した日は四月一日であり、他力本願のいわれを聞信させようとしてのことである、と記されています。そこで御本廟(西本願寺)では毎月一日に、出世されたことをよろこび、御影前に門主が餅を供えているということです。親鸞聖人の出世は衆生利益のためであり、毎月一日に報恩の別会を設けてその御恩をよろこびたい、と願われています。
親鸞聖人の降誕会は、一八六四(元治元)年には日野の地で、一八七四(明治七)年には西本願寺で行われており、次第に定例化していったようです。
釈尊の誕生会(降誕会)は一八九二(明治二十五)年四月に、帝国大学(現・東京大学)・第一高等中学・慶應義塾・哲学館(現・東洋大学)の学生らが、東京の真浄寺(東京都文京区、真宗大谷派)で執行したことに始まり(大内青巒『宇宙之光』哲学書院、一八九二年)、その後、「花祭り」として流布していきました。
東本願寺では、「宗祖聖人七百回御遠忌法要」の翌年である一九六二(昭和三十七)年に初めて、四月一日に「宗祖聖人御生誕慶讃法会」が勤められました。そして同年から「御生誕八百年」へ向けて動き出し、一九七三(昭和四十八)年に「親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年」の慶讃法要が厳修されるに至りました。
また大谷祖廟(東大谷、京都市東山区)では二〇〇一(平成十三)年より毎年、四月一日から八日にかけて、釈尊・親鸞聖人の誕生会として「花まつり」を催しています。
これまでも、釈尊や親鸞聖人の誕生について、月日やその場所を定めることによって、その御恩をよろこびあう場が開かれてきました。それによって、数多くの真宗門徒が生まれてきたことでしょう。慶讃法要を目前に控え、阿弥陀如来の本願を聞信できる機縁を大切にされてきた人たちの歩みを確かめながら、さまざまな人との出あいの中で、私が・真宗門徒として・生まれ得たことをよろこび、その意味をたずねていきたいと思います。
(『真宗』2022年6月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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