浄土門は六字を示して、その本然の境地に帰らしめようとするのである。それ故六字は吾々の行手にあるものではなくして、吾々に既に備わったもの、吾々の生れの家ともいうべきか。吾々は誤って故家を去り、流浪の苦しみに、あたら身を沈めているに過ぎぬ。六字を唱えるとは、故郷の音ずれを聞くことである。六字に吾々は吾々の故郷を見出すのである。
(柳宗悦『南無阿弥陀仏』「六字」)
柳は、凡夫が浄土への往生をなすためには阿弥陀仏の絶対他力に頼るしか方法はなく、「南無阿弥陀仏」と名号を繰り返すことによって救われていく。それは、職人が仕事を繰り返すことによって日用品に美を表わすことと同じではないかと考えていくようになります。
私はこの頃の生活には、とりわけ浄土系の信仰や思索に惹かれている。法然この方、特に親鸞、覚如、存覚、蓮如と伝え来った法灯に信の深さのゆらぐのを見た。しかもそれらの高僧のみではない。真宗の驚異は寧ろ無学な民衆の間にこそ閃いている。数々の妙好人がその短い言葉において、至純な行いにおいて、素朴な信心において、私どもの心を打つではないか。そうして民と信との結縁は、民と美との関連にも及ぶ。民藝に私どもが心を惹かれているのは、そこに数々の「妙好品」とも名付くべきものを見出しているからである。かかる品々に流れる美の掟を、いみじくも説いてくれているのが、念仏の教義ではないか。一冊の「歎異抄」も、一巻の「安心決定鈔」も、美の経典だと思える。
(柳宗悦『蒐集物語』「色紙和讃に就いて」)
信心によって素朴に生きている人が「妙好人」と呼ばれるように、柳は物においては、普段の生活用品で「下手物」とされた民藝品に「妙好人」の姿を見出しました。
柳は、近代化・工業化において忘れつつある日本において、人々の根底にある宗教性を普段の生活の中で使用する日用品の中に見出したかのようにも思えます。
この『南無阿弥陀仏』を出版した翌年に柳は病を得て入院、その後長らく闘病生活をおくり、1961(昭和36)年に72歳でその生涯を閉じました。