如来の光明
- 【原文】
普 放 無 量 無 辺 光 無 碍 無 対 光 炎 王
清 浄 歓 喜 智 慧 光 不 断 難 思 無 称 光
超 日 月 光 照 塵 刹 一 切 群 生 蒙 光 照、
【読み方】
あまねく、 ・無量 、無辺光 ・無碍 ・無対 、光炎王
・清浄 ・歓喜 、智慧光 ・不断 ・難思 、無称光
超 を放って、日月光 を照らす。一切の塵刹 、群生 を光照 る。蒙 - 【原文】
ここには、阿弥陀仏の
阿弥陀仏は、あらゆる方向にこの十二種の光を放って、塵のようにちらばっている無数の世界を照らしておられるというわけです。すなわち、阿弥陀仏の智慧には、人間のあらゆる状況を覆っている無知という闇を破って、すべてを光り輝かせる徳がそなわっているということです。
そして、一切の
阿弥陀仏が仏に成られる前、
そして、そのような徳行が実を結んで、法蔵菩薩は仏に成られたのです。それが阿弥陀仏なのです。法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られてから、すでに
さて、親鸞聖人は、『大無量寿経』によって、「正信偈」に、十二種の光の名を掲げておられるのですが、その最初は「無量光」です。これは、阿弥陀仏の四十八願の第十二願、すなわち「光明無量の願」によるものです。それは「たとえ、私が仏に成るとしても、私の光明の輝きに限量(かぎり)があるならば、私は仏にはならない」(聖典17頁)という誓願なのです。
これについて親鸞聖人は、『
阿弥陀仏の智慧の光明は、はかり知ることができないものであって、限りのある私たちの現実のありさまは、すべてこの光の輝きを蒙っているのだから、真実の光明である阿弥陀仏に帰命しなさいと、教えておられるのです。
第二は、「無辺光」です。阿弥陀仏の智慧の光明は、ここから先は行き届かないというような際はない、ということです。これを『和讃』には、「
私たちを悩み苦しみから解き放つ光明のはたらきには辺際がなく、この光に触れることができるものは、みな自分がこだわっている誤った考えから離れることができるといわれているので、平等普遍の智慧をそなえられた阿弥陀仏に帰命しなさいと、教えられているのです。
第三は、「無碍光」です。何ものにも、さえぎられることがないのが阿弥陀仏の智慧の光明です。『和讃』には、「
光に満ちた雲のような阿弥陀仏の智慧は、ちょうど大空をさまたげるものがないように、何ものにもさまたげられることなく、障害と思われる、どのようなものであっても、阿弥陀仏の智慧のはたらきには、何の障害にもならないので、光に満ちた雲の潤いを蒙らないものはないのだから、われわれの思慮では推し量れない阿弥陀仏の徳をよりどころにせよと、親鸞聖人は教えておられるのです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘