本願による回向
- 【原文】
広 由 本 願 力 回 向
為 度 群 生 彰 一 心
【読み方】
広く本願 の力 回 に向 って、由
を度せんがために、一心を群生 す。彰 - 【原文】
親鸞聖人は、
『
さらに親鸞聖人は、天親菩薩を讃えられます。「
阿弥陀仏の本願の力は「回向」というすがたによって凡夫に及ぼされているのであって、天親菩薩は、その「回向」されている本願に信順しながら、人びとを救いに導くために、まことの
阿弥陀仏が仏に成られる前、
「回向」というのは、現代風にいうならば「振り向ける」ということになります。この「回向」の教えの根底には、「自業自得」という教えがあります。それは、自らの行い(自業)が原因となって、自らが結果を受け取る(自得)という教えです。「自業自得」という言葉は、失敗したり、病気になったりするような、悪い意味に使われることが多いように思われますが、それは本来の意味ではありません。たとえば、仕事が成功するのも「自業自得」なのです。
ところで「回向」は、自分がなした修行によって生ずるよい結果を自分のさとりのために「振り向ける」ことと解釈されることがあります。しかし浄土の教えでは、意味がまったく違っています。
私たち末世の凡夫にとっては、自分の力では浄土に往生する原因を作れないのです。原因を作れなければ、往生という結果は起こらないわけです。念仏が往生の
そのようなことは、初めから明らかなので、それを哀れんで、阿弥陀仏は願いを発されたのです。原因を作れない私に代わって、私の往生の原因を阿弥陀仏が作ってくださり、その結果だけを私に振り向けてくださっているのです。それが本願によって「回向」されている念仏なのです。私には、私に振り向けられた「南無阿弥陀仏」をありがたくいただくことだけが残っているわけです。
よく「先祖に回向する」という言葉を耳にします。うっかり聞きますと、何か善いことのように聞こえますが、はたして、どうなのでしょうか。先祖は善い結果が生ずるような善い原因を作れないので、それを哀れんで、この私が先祖に代わって善い原因を作り、善い結果を先祖に振り向けてあげる、ということになるのではないでしょうか。すでに諸仏に成られたご先祖さまに対して、大変ご無礼な話になるのではないでしょうか。
さて、先ほどの「一心」は、結論的にいえば「信心」ということになります。そこで、天親菩薩は「本願」によって「回向」されている「信心」の意味を私どもに顕かにしてくださっていると、親鸞聖人は歓んでおられるのです。
聖人が、折にふれて「如来よりたまわりたる信心」ということを語っておられたことの意味をあらためて思い起こさせていただけるのではないでしょうか。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘