往生人のこころ
- 【原文】
遊 煩 悩 林 現 神 通
入 生 死 園 示 応 化
【読み方】
の林に遊びて煩悩 を神通 じ、現
生 の死 に園 りて入 応 を示す、といえり。化 - 【原文】
親鸞聖人は、
天親菩薩は、まず、一切の人びとに本当の安らぎをもたらすために、阿弥陀仏の願いとして私たちに差し向けられている「一心」の意味を明らかにされたのでした。「
親鸞聖人は、この「一心」は「
この「信心」によって、私たちがどうなるのか、それについての天親菩薩の教えを、親鸞聖人は、三つの点に要約しておられるのです。
第一は、「
与えられている「信心」によって、功徳としての
つまり「信心」によって、今、この身のままに必ず浄土に往生することが確定するのだと教えておられるのです。往生の確定は、死後のことでもなければ、遠い未来のことでもなくて、今のこの生涯のうちに起こることであるとされるのです。
第二には、「
蓮華蔵世界に至るというのは、阿弥陀仏の浄土に往生することです。また、真如法性の身を証するというのは、一言でいえば、仏に成るということです。したがって、「信心」によって、私たちは、間違いなく浄土に至ることができて、必ず仏に成るのだと教えられるのです。
往生にしても、成仏にしても、それは死後のことのようにも受け取れます。けれども、浄土往生ということは、私たちの自我へのこだわりによって汚されているこの世界(
「土」(世界)は私たちの生活の場です。そうすると、「信心」によって、穢土が浄化されて浄土になるということは、私たちの生活が、阿弥陀仏の願われている通りに浄化された生活になるということでもあるのです。
第三の教えが、今回の「
「煩悩」は、私たちの身体を煩わせ、心を悩ませるものです。「神通」は、仏や菩薩が人びとを救うために用いられるすぐれた力です。「生死」は、道理から外れて限りなく迷いつづけている状態です。「応化」は、仏や菩薩が人びとの救いのために、それぞれの人の状況にふさわしいはたらきかけをされることです。
ここには、浄土に往生した人の在り方が示されています。浄土に往生した人は、浄土にとどまるだけではなく、あたかも密林のように煩悩がはびこる世界に自由に出入りし、迷いに満ちた
与えられている「信心」を私たちは素直に受け取るのです。そのことによって、私たちの生活は阿弥陀仏の願ってくださっている通りに浄化されます。しかし、浄化されるということは、他の誰にも阿弥陀仏の願いが向けられている事実を、ともに喜べるように、人びとにはたらきかけをすることを同時に含んでいるのだと、天親菩薩は教えておられるというわけです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘