1994真宗の生活

1994(平成6)年 真宗の生活 11月
<御仏事の営み「報恩講」>

報恩講という集会は浄土真宗を象徴する独自のものと言ってよいでしょう。正式には覚如上人の時から始まったと言われていますが、親鸞聖人の滅後、間もなく毎月のご命日の集会が開かれていたようですし、御正忌報恩講の集会も当然に開かれていたと思われます。
そして今日の私たちが宗祖と仰ぐ親鸞聖人の報恩講をお勤めするのと同じように、親鸞聖人ご在世の当時、浄土真宗の教えをいただいたご門徒と共に、法然上人の御正忌報恩講の集会を開かれていたと思われます。

親鸞聖人の晩午のお手紙にも「聖人(法然上人)の二十五日の御念仏」という表現で、法然上人の毎月のご命日に念仏聞法の集会が開かれていたことが記されています。
そこに見えてまいりますものは、報恩講とぃう集会が、今日の単なる宗派としての「浄土宗」「浄土真宗」を超えた、本願念仏に遇い得た者の自然なる発露としての御仏事の営みであるというその真の姿です。

今から七百年前の厳しい社会状況と生活環境の中で、まさに地をはうように生きていた圧倒的大多数の名もなき庶民の人たち、彼らが本願念仏の教えによって与えられた、人としての絶対的尊厳の自覚と、厳しい社会制度をも相対化させてくるような、浄土から照らされてこの世を見るという眼、それらによって彼らに生まれた喜びと勇気と謝念は、どれほどのものだつたでしよぅか。以来、脈々とその伝統は受け継がれ、本願念仏の教えは時代と社会を超えて人びとにそのような目覚めを与え続けてきました。

浄土真宗の教団は、報恩講の教団とも言われています。それは本願念仏に遭い得た者は、報恩謝徳の念を禁じえない者、具体的には報恩講をつとめずにはおれない者ということでしよう。現に報恩講は、本山で、全国のお寺で、さらにはご門徒の各家庭でつとめられてきました。

もし報恩講への参詣者が少なくなってきているとするならば、それは教団の存立が根底から問われていると言っても過言ではありません。それは私たちが伝えようとしている教えが、今日の時代社会を生ききる念仏者を生み出すような教えとして機能していないということでしょう。
いつの間にか私の等身大の、私たち宗門の等身大の親鸞聖人の本願念仏の教えになってしまっていないでしょうか。
他人の問題ではなく私自身の問題として、本願念仏のご縁をいただいた者は、その責務としてそのことを問い続けなければならない者でもあると思います。

『真宗の生活 1994年 2月』 「御仏事の営み「報恩講」」「『同朋新聞』から」