墳(ふん)墓(ぼ)の地といえば、そこには先祖のお墓があり、やがて自分もそこに納められる場所として、また先祖のさまざまな恩恵を受けた人びとの暮らしのなかにたたずんでいるふるさとの原風景(げんふうけい)のように思いおこされます。
今日、人びとの暮らしは、すでに時代の大きな変化のなかで、多くの人がその地を離れ、あらたに生活の場をもつようになっています。そのことによってつながりを失い、不安が強くなっています。そして、過去へのつながりよりも自分の行く末への不安が増し、お墓や葬送について、さまざまなあり方を志向させています。
いずれにしても、お墓は時代や地域によってさまざまな変(へん)遷(せん)を経てきていますが、真宗門徒のお墓については、角石塔(かくせきとう)が一般的です。そして特に墓石の正面には、名号である「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」、または『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』にある「倶(く)会(え)一(いっ)処(しょ)」(倶(とも)に一処に会(え)する)という言葉が刻まれます。
有名な「白(はっ)骨(こつ)の御文(おふみ)」に「たれの人もはやく後(ご)生(しょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」(『真宗聖典』八四二頁)というお言葉があります。後生とは文字通りこの後の生ということです。死によって未来が閉じられる不安から解放されたいと誰しもが願っています。そういう私たちに、不安こそ大事なものに気づかせていただく機縁(きえん)とし、現に生きている自身のあり方をはっきりさせることが大切であると呼びかけておられます。
念仏によって開かれる世界を共にし、またお墓にまつわる根拠のないさまざまな迷信にまどわされることから解放され、先だっていかれた方々と出遇っていく大切な場所として受けとめていきたいものです。
『真宗の仏事』(東本願寺出版部)より