家族報『なむなむ』伝道掲示板
僕はカニを食べました。
カニの一生を食べたんやなぁ。

近年、暖冬と言われますが、雪国では家の備えに気を揉み、降り始めれば辺りの白さに道標を見失い、出かけた者の身を案じながら雪かきをして、気の休まる暇がありません。親鸞さまが生活された越後。新潟県上越市にある善念寺には家族報『なむなむ』が掲示されています。

「『なむなむ』の「なむ」はご想像の通り「南無阿弥陀仏」の「南無」です。私の子どもたちへ、幼い時に「おまいりだよ、なむなむだよ」と言って聞かせていたこともあって、なじみやすいかと思い、タイトルにしました」と話を聞かせてくださったのは候補衆徒で発行責任者の滋野康賢さん。

念仏・聞法の道場であるお寺に生きる者の、それぞれの思いを書き綴る場として2003年7月から毎月発行し、掲示と同時に、月参りの際には門徒さんへ配られています。

「月参りへは住職である父、弟と私の3人が出かけています。ある時、日程の都合でお会いできなかった方に「半年も会わなかったね」と言われ、門徒さんとの関係をつくり続けていかないと、時間が簡単に隔たりをつくってしまうことを実感しました。『なむなむ』を作る前に一人で刊行物の発行を試した時期もあるんですが続かなくて。弟や妹と思いを共にして作り始めました」。

善念寺のみなさん 伝え続けないと“癖づいた”ものが直らないお内仏の荘厳や作法について解説したり、顔の見える相手を想像しながら法語や日常のことばを見つめ直す試みをされています。専門用語が出てくる文章に合わせたイラストは、紙面に和らいだ印象を与え、記憶に残りやすいものに。「今は嫁いだ妹にお願いして、メールやファックスでやりとりしながらイラストを描き続けてもらっています。家族だから無理を言ったり甘えたりして続けてこられました。刺激しあえる仲間でもありますね」。

過去の紙面を懐かしそうに振り返りながら、思いや考えを記録し続けていくことの重要性と難しさを痛感されていました。

「家族報にして月参りへ出かける三人だけではなく、お寺を支えている坊守である母、妹、弟や私の妻や子の様子がわかれば、門徒さんと顔を見て話すきっかけになるだろうと思い、協力してもらっています」。

毎月行われる「有縁講」での苦労話や悩み事、妊娠出産や子どもたちの成長、ペットとの別れについて書かれた記事は特に女性の方に喜ばれており、わかりにくいと敬遠される教法も体験から得られたことばを通してなじみやすく伝わっていくようです。

「お寺でのイベントを掲載した時に、門徒さんではない方から問い合わせがありました。立ち止まって読まれた方に、お寺の様子が垣間見えたかな、教えとつながるきっかけになったかな、またお寺に来てほしいなと思いますね」。

家族の力が注がれた『なむなむ』。情報が多く流動的な現代社会の中でいつもそこにあるお寺の掲示板からはより多くの人と、それぞれのお宅に配布され、保存されていく紙面からはより深い関係がつくられていきます。

(高田教区通信員 虎石 薫)

『真宗』2010年3月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:高田教区第6組善念寺(住職 滋野憲雄)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。