JR福井駅から山あいの国道を行くこと1時間半。岐阜県境に近い大野市川合(かわい)地区。ひぐらしの声が響く小さな集落で、築300年以上になる道場が出迎えてくれた。

川合道場
川合道場

大野市の旧和泉村(現在は大野市と合併)。ここには、本願寺が東西に分かれる以前からの「直参(じきさん)門徒」が数多く住んでおり、今でも真宗門徒の伝統的な生活を送る人がいる。中でも川合地区はそんな生活の雰囲気を色濃く残している地区だ。

訪ねたのは7月21日、22日。「暑かったでしょう。ここは福井市より少しは涼しいかな」。出迎えてくれたのは、地区に住む新井千代子さん(92)と末永喜美代さん(90)。二人は地区内でも特に熱心な門徒として、この道場を支えている。

新井千代子さん(左)、末永喜美代さん
新井千代子さん(左)、末永喜美代さん

道場を訪れることになったのも、お二人との出会いが縁だった。福井市で毎月2回開催されている聞法会に、新井さんはほぼ毎回通っている。体調を悪くする以前は、末永さんも通っていた。

福井までは、行き帰りで約4時間。90歳を超えた方とは思えない元気な姿に、何よりその熱心な聞法の態度に、興味をひかれた。「一度、川合へ遊びに来て」。お二人にお誘いいただいて、道場を訪れた。

道場に着いて、荷物を置くと、「まずはおつとめね」と新井さん。道場坊主の末永彦治さん(87)を呼んできた。「道場坊主」とは地区内の住民が交代で務める、道場の世話役のこと。今は末永さんが務めている。

末永さんの調声(ちょうしょう)で、嘆仏偈が始まった。しばらくすると、後ろから何かが飛んできて、内陣に「カンカラカーン」と転がった。小銭だ。振り返ると、新井さんと末永さんが内陣に向かって小銭を投げ入れていた。「投げ銭」という伝統だという。真似して投げてみたが、おそるおそるしか投げられなかった。

内陣の床についた投げ銭の跡
内陣の床についた投げ銭の跡

 

おつとめが終わると、道場の説明をしていただいた。

毎月10日には「十日講」を営む。本山から「十日講御書」を交付されたのがきっかけ。これ以外にも、年間で計16日間の法要を営む。すべて川合地区の人が集まって行う法要だ。

道場の玄関には、川合地区九戸分の新聞受けがある。「あれはね、10年前に新しく始めたの。毎朝、新聞を取りに来るとき、ちょっとでも手を合わせてくれたらいいなと思って」と新井さん。工夫をこらして、伝統を引き継ごうとしているのだと知った。

自家製、手作りの品々が並んだ食卓
自家製、手作りの品々が並んだ食卓

 

道場では心づくしの料理が待っていた。山菜おこわ、なすの煮たの、あげの煮物…。食材の多くは、自分たちの畑で採れたものだという。料理はどれも手間暇かけたものばかり。今年初出荷という地域の名産「穴馬(あなま)スイートコーン」もいただいた。

団らんも一通り終わったころ、新井さんたちが聞法を始めたきっかけを尋ねた。

新井さんは、福井市(旧美山町)の生まれ。川合地区には、嫁いで来た。義父は熱心な門徒で、常に「参れ参れ」と新井さんに聞法を勧めた。「なんでそんなに熱心にやらなあかんのか、と最初は反発していました」。

そんなあるとき、本山奉仕に行くことになった。義父が勝手に申し込んでいたものだった。観念して足を運んだ本山。御影堂で御影に向き合ったとき、なぜかとめどもなく涙があふれたという。おえつが出るほどの泣き方。「なぜ、あれほど泣いたのか」。その疑問が、聞法を始めたきっかけだったという。

末永さんは、川合地区に生まれた。昔から和泉村では結婚せずに実家で一生を終える人が多かった。末永さんの家も、そんな家庭の一つ。おじやおば、大おじや大おばもいた。家庭では、夕飯が終わると、ろうそく1本を囲んで団らんした。話題の多くは、仏法のことだった。幼い末永さんにも分かるように、物語で伝えたりもした。「ええか、喜美代。仏法聞くんやぞ」。噛んで含めるように、繰り返し伝えられた。

 

新井さんたちの幼いころは、地区の住民がお金を出し合って、選ばれた人が代表して京都の本山へ行ってもらった。そして聴聞したことを、帰ってきてみんなに伝えたという。「それが楽しみだったんです。たくさんの人が話を聞きに集まってきました」。仏法を聞きたい。そんな人たちがあふれていたのだ。

 

太鼓をたたく末永さん
太鼓をたたく末永さん

そうして団らんの夜が明けた。

 

道場でのおあさじは住民の交代制だ。9戸しかないから、9日に1度、順番が回ってくる。この日の当番は末永さんだった。

当番の家のことを「太鼓番」という。「太鼓番」の日は、道場で太鼓をたたいて、その後でおあさじをする。朝7時半。末永さんが、おもむろに太鼓をたたき始めた。「どんどんどん」。独特のリズム。道場の無事を知らせるためにたたくのだという。

末永さんは御仏飯をあげると、「今日のおあさじはお願いね」。調声を任された。言い残して末永さんは台所へ。朝食の準備を進めている。

先頭に座る。「きん」を引き寄せたらでこぼこだった。300年間、たたき続けた跡だろう。たたくと、「ぼやーん」と低く、くぐもった音が鳴った。内陣の床に、天井の大きなはりに、お念仏がしみこんでいるような気がした。

(福井教区通信員 藤 共生)

 親鸞聖人から直接教えを受けた、高山別院開基の嘉念坊善俊上人が越前穴馬から石徹白、白鳥を経て飛騨の地に入ったといわれる。この地区の真宗の歴史はそれ以来の伝統があり750年以上となる。

今も上記のように、本山の直参門徒としての気概を持っておられ、毎年の報恩講7昼夜や歴代上人ご命日には、本山と同じ次第で、「道場坊主」が調声し勤行をするという。年々報恩講を短くする寺院が多い中、見習うべきことが多くあると感じる。

道場の左右には八藤紋、抱牡丹紋入りの賽銭箱があり、参拝者は「まず本山に」と賽銭を入れてからお参りする。

元旦の朝には、帰省をした若い人たちを含めた地区内全員が道場に集まり、おつとめの後、みんなで雑煮をいただく「お箸はじめ」が行われる。

長い間培われ、守られてきた伝統を今も大切にしておられる。時代の変化によって失われてきている真宗門徒の生活が今もここに息づいている。

参考資料:『越前 浄土真宗御門徒を支えた 道場さんを訪ねて』道場研究会発行