宗門教育と時代社会
(新野 和暢 教学研究所嘱託研究員)

近年、大学や高校などの場で「アクティブ・ラーニング(学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称)」という言葉が聞かれるようになりました。一方的な講義に終始せず、学生同士による「学びあい」などによって答えを模索させる。このような工夫で、能動的な学びへと転換する教育が求められているのです。
 
近代日本の教育政策は、時代社会の要請によって変遷してきました。その動きは、宗門も無関係にありません。安居や学寮においてなされてきた宗門教育のあり方は、明治維新や近代化といった動きに影響を受けてきたのです。
 
宗門の教育機関は、一六六五(寛文五)年に創設された学寮にはじまります。一八七三(明治六)年八月に貫練場へと名称変更され、その後、一八七九(明治一二)年六月に貫練教校と変わり、この名称が一八八二(明治一五)年一二月に大学寮と改められたという経緯があります。とりわけ、明治維新期の一八六八(慶応四)年には、護法場を開講しました。廃仏毀釈やキリスト教禁制という時代を背景にして、国学(諸流神道、和歌和文)、儒学(詩文、経済)、天学(算術、推歩〈天体の運行を推測〉)などを学ぶ「護法学科」が置かれました。一般教養にあたる「外学」が、宗門教育に取り入れられたのです。この流れは貫練場においても同様で、一八七五(明治八)年六月には、貫練場を仏教専修の「専門課」と「普通課」の二つのコースに分ける改編があり、宗乗・余乗の他に史学や政治学、算法など、社会的な幅広い教育を行う課程が独立してゆくという経緯を辿りました。
 
そもそも学寮とは、僧侶が寄宿して互いに修学する道場のことを言いますが、この時の名称変更は、カリキュラムの充実だけでなく、学寮内で行っていた説教を廃するなど、習学の場としての性格を強調しました。この教育内容の転換を支えた貫練という言葉は『大経』に由来しています。
 

算計(さんげ)・文芸(もんげい)・射(しゃ)・御(ご)を示現して博く道術を綜い(なら)群藉(ぐんじゃく)を貫練(かんれん)したまう。(聖典二~三頁)
一切の法を学びて、貫綜・縷練す。(聖典四頁)

 
と、「学び」のあり方が示されています。そして、貫綜縷練という教えの意味について中村元博士らは、「貫通し、習い、なり上げる意で、衆生救済の法をくわしく学び鍛錬すること」(『浄土三部経(上)』ワイド版岩波文庫、二九〇頁)と、説明されています。仏法を習い身につけるとともに、その中に、社会と関わる救済の道が含まれているというのです。
 
ここに、宗門人たらしめる宗門教育とは何か、という課題が輪郭を表すことになる訳ですが、歴史的に明らかである様に、何をどうやって学ぶのかという事は、社会的な影響を受けます。さらに、社会的な雰囲気に翻弄されながら、教えをそのまま受け止められない私も居ます。「学び」にはそれほどの不確実さが伴っているのです。ゆえに、仏教に「学び」のあり方を習うということは、転換してゆく方向性が問われているのです。自らの都合でしか向き合えない私に、そのことを突きつけているのが、貫綜縷練の教えではないでしょうか。
 
(『ともしび』2017年4月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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