忘却を超える
<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会委員 谷 大輔>

多磨全生園納骨堂の前で歴史を学ぶ 東日本大震災から3年が経とうとしている。今、あの時に確かに感じた思いを、私たちは覚えているだろうか? 心に刻み込んだと思っていた、悲しみを、苦しみを、そして怒りを忘れていないだろうか?
苦しむ人がいても、血を流す人がいても、死んでいく人がいても、忘れてしまう。世間に流され、自分に都合の悪いことには耳を塞ぎ聞こえないふりをし、やがてそこに人がいることを忘れてしまう。そして、また同じ過ちを何度も繰り返す。我々の抱えている大きな課題です。
2013年10月、「第9回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」が東京で開催されました。この集会の大きなテーマは「人間を忘れない」であり、「ハンセン病問題」と「震災・原発問題」が中心の課題でした。

 

「人間を忘れない─耳をすます そして
語り継ぐ─」交流集会

日程中、国立療養所多磨全生園でのフィールドワークで納骨堂を訪れたときのことです。別の療養所から来られていた、普段は明るく朗らかにされている回復者の方が、うつむいて泣いておられました。付き添いの方が「しんどいの?」と声をかけられると、「つらくて…」と一言。強制隔離によって失われた生活、人生、故郷、そして死に別れた仲間たちへの思いが凝縮されているような一言のように聞こえました。
短い時間ながらハンセン病問題に関わりをもち、感じさせられ教えられたことは、1人と出会うということの大切さです。そして、人と出会うということは、その人がいのちの事実に立って発せられた言葉の前に身を置くということなのです。我々が抱える忘却という問題を超える道はそこにしかないように思います。
交流集会において、福島で日々放射能と闘っておられる仙台教区の佐々木道範眞行寺住職がスピーチをし、その中で、「”放射能が危険だ”という言い方が、いのちを奪っているのではないですか」と問われました。もちろんこれは”放射能は安全だ”と言いたいのではありません。福島には、子どもを産んでいいのか悩む母親や将来妊娠していいのかと悩む若い女子が多く、そういった方々の苦悩に寄り添いながら、行動して欲しいという問題提起をされたのでした。「生まれてきてはいけないいのちなどない」とも語られました。
震災・原発の問題でいえば、復興を支援したり、仮設住宅を訪問したり、福島の子ども保養事業に積極的に関わろうとする人は多くおられます。佐々木住職の言葉は、その関わりの”質”を問い直す言葉として聞こえました。「支援や保養と、本当に1人の人の顔が見えていますか」と。被災者と関わってはいるけれど、目の前にいる人の声を聞こうとしないということは、その人が苦悩を抱えながら人間として生ききろうとしていることを忘却しているということなのです。
ハンセン病問題、震災・原発問題は確かに別々の問題ですが、そこに通底しているのは、問題そのものが人間を忘却していく我々の在り方を照射し、言い当てているということです。そして、本当にそのことが自覚されるのは、1人の人の生きた言葉を聞く以外ありません。その言葉に照らされ、忘却という闇を抱える者として悲しまれている自分を自覚することが、立ち上がり、一歩踏み出し、行動する勇気となるのだと思います。

 

《ことば》
いのちが生きたいといっている。

< 高山教区 佐々木 道範 >

「福島県の二本松市に住んでいます。原発事故で放射能が降り注いで、僕たちは被害者と言うのでしょうか…。その中で、どうやって子どもたちを守っていけるのかをずっと考え続けています。僕はただ、普通に生活がしたいのです。生き生きといのちいっぱいに生きたいだけです。でも、福島は放射能の問題で、いろいろとやらなくてはいけないことがある。子どもたちはまだ外で思い切り遊べない。
僕は福島の全部を伝えられないけれども、福島がどんな苦しみや悲しみの中で今を生きているのか、みんなに知ってほしいのです。何もなかったことのように、終わったことのようにされそうですけれども、僕たちだって普通に生きたいのです。
福島は震災前、原発事故の前みたいに、何も変わらない生活なんて、今はできないのです。どうしても放射能のことを考えなくてはいけないし、それは福島から避難している人たちもそうだと思います。僕は何ができるか分からないけれども、ここ(こころ)で感じて生きていきたいと思います。理屈ではないのです。だって、僕らのいのちが生きていきたいと言うんだもの。放射能の問題はずっと考えていかなくてはいけないけど、そこに生きている人がいるということを忘れないでほしいと思います」。
2013年10月、第9回全国交流集会での佐々木道範さんの言葉です。
<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会・広報部会>

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2014年3月号より