人間には時がある、言葉を言う時、闘う時
玉城しげさん (国立療養所星塚敬愛園入所者)

1996年「らい予防法」は廃止された。しかし療養所をとりまく「社会」は変わることは無かった。そこで「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」が起こされ、国のハンセン病政策の誤りが証明された。そのことを受け、国は隔離政策による「人生被害」を回復するために、生きていて良かったと心から思える人生を保証すると約束した。その後、ハンセン病問題基本法(2008年)が成立した。しかし、療養所の中では職員不足で介助や介護が十分に受けられず、入所者たちは深刻な不安を強いられている。現在、全国のハンセン病療養所の入所者の平均年齢は82歳を越える。2012年7月、現在もハンスト宣言は継続中である。その全ての療養所の入所者たちが、「国に対してハンストを行う」という旨の決議をした。その当事者である、玉城しげさんに、ハンストに対する気持ちをうかがった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
療養所での生活は今年で75年になりますが、長い間人間としての扱いを受けてきませんでした。先日、園の先生や職員に対して、昔の園のこと、偏見差別のこと、裁判のことを話してきました。先生や職員にお話しするのは初めてでした。園の中も昔とずいぶん変わってきたなと思いました。

 

療養所に来たけれど

私は12歳ごろに発病しました。その頃は漢方薬を飲んでいました。その薬はすごく苦しくて、飲むのが嫌でした。家族はお菓子とか服とかおもちゃとかを与えて嫌がる私になんとか薬を飲ませたのです。大事に育てられました。そういう生活が20歳まで続きました。
そんなころ、突然愛楽園から園長が白衣を着て堂々と家に来ました。私が住んでいた町は漁師が多く、晴れた日は漁に出ています。園長が来た時はちょうどみんな漁に出ていて、人に見られなくてよかったのですが、幼い兄弟たちが心配して、「姉ちゃんどこが悪いの」とか言い出して騒ぐものですから、私は園長に「ちゃんと薬を飲んでいます。もう病気は治りましたから帰ってください」と言いました。そうしたら、「沖縄の療養所が嫌だったら、鹿児島に行きなさい」と言われました。
その後、鹿児島の療養所から手紙が届いて、「あなたの病気はまだ初期で、沖縄と違って鹿児島では2ヵ月したら帰れます。お金がなくても、食べるものも、薬も、着るものも心配しなくていいから早く来なさい。学校の先生になりたいのだったら女学校で勉強できます」と書いてありました。他にもお茶やお花の稽古、洋裁和裁といった若い娘が飛びつくようなことがいっぱい書いてある、写真が載ったパンフレットも送られてきました。それを見た私は、鹿児島は沖縄とは違うんだ。病気を治すのに、ただで治療してくれる、好きな勉強も習い事もできると思い、その気になって鹿児島に行きました。
2ヵ月たったら病気を治して帰ろうと思い、鹿児島の敬愛園に着いて、着ている服や持ち物を全て消毒され、持っていたお金を取られたその日から75年が経ちました。その間、隔離政策の被害に遭い、身体も不自由になり、子どもも殺されました。

 

人間であって人間でない

 75年間は人間であって人間でない生活でした。予防法がなくなって、裁判に勝っても、殺された子どものことを考えたら、私は生きていてよかったと言えない。人間として子どもを育てることもできない、親となることもできない。女としても生きていく値打ちのない、人間であって人間でない「玉城しげ」ということが頭から離れません。そして同じような被害に遭った多くの人たちのことを考えると今の状況は、納得がいきません。 「お前は何故裁判に立つのか」と昔は言われました。今でも、「国に世話になっているのに、なんでストライキするのか」と言う人もいます。私は国に世話になったと思ったことは一度もありません。多くの人がこの療養所で手足を不自由にして、死なして、ここで人生をめちゃくちゃにした、その人たちの死に様を国はわかっているのでしょうか。死んだ人たちの記録は残っていないし、墓もない。悲しく、惨めな思いで死んでいった。そういった生活を強いておいて、「国に世話になった」とは言えないのです。

 

偏見差別をなくしたい

 私が一番訴えたいことは、偏見差別がいつになったら消えるのか、偏見差別をなくしたいということです。子どもに伝えていくことが一番大事だと思います。先日、鹿屋市の小学校5年生に偏見差別の話をしたんです。その時に、子どもが「今日は本当のことがわかりました。うちのおじいちゃん、おばあちゃんには敬愛園には行くなと言われました。ハンセン病のことは何も知りませんでした。偏見差別は人殺しだということがわかりました。今日聞いたことを、おじいちゃん、おばあちゃん、お友だちに話したい」と言ってくれました。私はこの言葉がとても嬉しかったです。子どもたちに伝えていくことはとても大切なことだと思いました。
 キリスト教の教えの中に、「すべてのことには時がある、闘う時、和合する時、死ぬ時、生きる時。この時を恵みの時と思って、言いたいことを言いなさい。やるべきことをやりなさい」という言葉があります。私にとってハンストをするのは当たり前です。予防法が廃止になり、裁判にも勝ちました。しかし人間として、毎日の生活が「良かった良かった」では生きている値打ちがありません。ハンストに関して支援者の皆さんは、私が歳をとったから「無理しない方がいい」とか気を使ってくれますが、ハンストをやめるということは絶対にできません。なぜなら多くの仲間、親兄弟や親戚までもこれまでどんなに苦しんできたか。日本全国にこの過ちを知らせるまでは、死ぬことはできません。やるだけやらなければ死ぬこともできません。そういう気持ちです。このハンストを通して、いまだに続いているハンセン病隔離政策の被害や偏見差別を、日本中の人に知ってほしいのです。
(2013年9月3日 星塚敬愛園にて)
文責 解放運動推進本部 蓑輪秀一

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2013年12月号より