第10回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会
 第二分科会報告
「真宗大谷派山陽教区とハンセン病問題」

<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会広報部会 本間 義敦>

 交流集会第二日目には、長島愛生園、邑久光明園を会場に三つの分科会が開催されました。この号では、邑久光明園恩賜会館での第二分科会の報告をいたします。
 
パネリスト─吉田藤作氏 (邑久光明園真宗法話会会長)
      鈴木幹雄氏 (長島愛生園真宗同朋会会長)
      玉光順正氏 (山陽教区第七組光明寺住職)
      赤松豊永氏 (山陽教区第五組常念寺住職)
コーディネーター─勝間靖氏 (山陽教区教化委員会施設交流部部長)
 
勝間靖 山陽教区では、奇数月には光明園、偶数月には愛生園を訪れ交流を重ねてきました。「らい予防法」廃止、宗派「謝罪声明」から二十年の節目を迎え、この分科会では今後の取り組みについて一緒に考えていきたいと思っております。
吉田藤作 光明園では真宗法話会の会員の老齢化が進み、会員は四十七名です。お参りがあまりにも少ないので、一緒に法話を聞き、生活の話をすることができないことを本当に残念に思います。みなさんにお願いしたいことは、私たちの病気を正しく理解していただきたいということです。「百聞は一見にしかず」です。療養所を訪問して、私たちのことを少しでも考えていただければありがたいと思います。皆さんがお話をする機会には、ハンセン病の昔からの偏見・差別について、啓発活動の輪を広げていただきたいと願っております。
鈴木幹雄 私が愛生園の真宗同朋会の世話役になったのは一九九一年です。一九九七年、大谷派の人たちが、私たちを本山に招待してくださった。第十回まで続いているこの全国交流集会のスタートだったと思います。その時は、長島愛生園からバスで二十人近くが参加しました。ところが十回目になって、僕一人の参加になり非常に寂しい思いです。山陽教区の方が訪問されるときは、私たちは長島にいて、「ようこそ来てくださいました」と迎え、帰る時には「さようなら」と手を振って別れる。そういう「受け入れる」と、「見送る」という関係でした。第一回の交流集会で本山に行った時は、迎えてくださり、手を振って見送っていただきました。私たちは世間から受け入れられたことのない存在でした。交流集会で受け入れられていることのうれしさを、みなさんが全身で発散されている光景を見て、「あぁ、これは今まで山陽教区の人たちが長島に来て交流し、顔見知りになったからこそできたものだなぁ」と思いました。第一回全国交流集会の光景が忘れられないのです。
赤松豊永 祖父の赤松円城は布教師で、全国各地の療養所を訪れていました。祖父から直接に園でのことを聞いた記憶はありません。亡くなられました伊奈教勝(藤井善)さん、多田芳輔さんといった回復者の方たちに出あって、私の知らない祖父を教えていただきました。祖父が療養所に行く時や帰ってきた時の様子から、楽しみにして行っているように子ども心には映ったんです。この人たちと出あい続けていきたいという思いがあったのだと思います。
玉光順正 最初に私がハンセン病問題に関して考え始めたのは、福地幸造さんという解放教育に取り組んでいた方からの促しがあったからです。雑誌『解放教育』第一七四号(1983年)に「転換期に直面するらい園の内外」という特集が組まれ、「遅すぎたにしろ、気がついた時点から「実行上」のこととして、動くのが「仁義」だろうと思う」という編集後記の言葉を読み、「そうだな」と思いました。最初に訪問した時から、私は「らい予防法」の問題や、天皇制問題とか、これまでと違った法話をしました。「「らい」のことを問うてくださるなら、もう少し早く来ていただいていたらと思いました」と言われ、そういう言葉に打ちのめされたりしながら、ハンセン病と関わってきました。島田等さんや豊田一夫さんなど、『解放教育』に執筆されていた回復者の方たちを各地に訪ねて、いろいろなお話をお聞きした。そういう流れの中で、この全国交流集会もできていったのです。
 基調講演で德田靖之先生が、「当事者とは誰のことか」という提言をしてくださった。(本連載八月号)私たち自身が持っている体質が、なかなか当事者となれないのではないかとぼくは思います。これまでの交流集会の宣言の中では、「ひとり」という言葉をよく使っています。「世間」や「みんな」ではなく、「ひとり」という感覚を、ややもすると忘れてしまう。「みんな」になった方が楽なのです。ほんとうは「ひとり」で考えることが大切です。大谷派でいえば、ハンセン病患者の地域医療を推進された小笠原登先生はやはり「ひとり」であった。「ひとり」だからこそ、いろいろな人たちと一緒に考えるということが成り立つ。「みんな」だと、多いか少ないか、力が強いか弱いか、都合がいいか悪いかといった判断になる。
 「浄土真宗」とは、二つのことだと思います。「浄土」とは、大きく考えるということ。例えば日本という国を相対化して大きく見る眼(まなこ)、その眼は本当かどうかと考えていく、それが「真宗」です。「浄土」を、今の問題として考えると、それは国、国土のことです。日本の国を問題にすることが当然おこります。死んでから浄土へ行くのなら、別に今のことは考えなくてもいいのです。けれども、浄土が今はたらいているとすれば、今の日本という国家を本当に考えなくてはならない。その考える基本は「真実」です。「真実」ということをきちんとおけば、「浄土」と「国家」がつながる。そういう歴史が「南無阿弥陀仏」の歴史です。「同朋」が成り立つものとしての「浄土」と、「真宗」ということをつないで、「浄土真宗」と言ったのは親鸞聖人だけなのです。そのことを言葉として表現をする責任が、私たちにあると思っています。今、日本の状況を見ていると、やはり弱いところにしわ寄せがきている。そんなことが気になります。
勝間 回復者の高齢化がすすみ、誰もいなくなるということが、現実としてあります。願いを、今聞き受けて歩みだす動きが重要です。そのことについて発言いただけますでしょうか。
鈴木 療養所の終焉の時期も遠いことではないと思っています。我々が差別を受けてきたこともありますが、それにもまして次から次へと似たような差別問題が、いろいろかたちを変えて現れてくると思います。若い人たちに、形を変えて現れてくる差別に目を光らせていただきたい。藤井善さんが「私は納骨堂の中に入っても、あなたたちの行動を見ておりますよ」と、まさにその藤井さんが示された言葉もそこを言われていると僕は思っています。
(抄録)
 
 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2016年10月号より