忘れても 慈悲に照らされ 南無阿弥陀仏

浅原才市
法語の出典:『山陰 妙好人のことば』

本文著者:津垣えり子(日豊教区正應寺坊守)


 「妙好人(みょうこうにん)」と呼ばれる人たちの言葉には、独特の響きがある。江戸末期から明治にかけて、社会的にこれといった高い地位もなく、市井の、決して楽とは言えないであろう日々の暮らしの中から、自ずと口から出てきた、豊かで、ふっくらとした言葉。四角四面の漢字ではなく、やわらかなひらがなの似合う言葉。平易で素直に紡ぎ出される言葉の数々に、どこかしら懐かしさを覚えると共に、それをそのまま受けとめようとしても摑みきれない、近いようで遠い言葉にも思える。
 
 お寺で開かれる、月に一度の小さな夜の集いに、遠方から必ず足を運んでくださる男性がいる。長年の肉体労働で真っ黒に日焼けした顔は、一見こわもて。粗野で木訥(ぼくとつ)だが、口からでる言葉はいつも自身の信心の中身に終始する。それは「癌」を発病される以前から、療養中の今も変わらない。その人はいつも「おまかせです」という。癌になる以前も「おまかせ」であった。それならば、癌になっても、この身をすべて如来様に「おまかせ」するのだと。
 癌は確実に進行しているはずなのに、その人の表情はいつもどこか明るい。たまに見せる笑顔は、まるで子どものようだ。才市さんのことばを味わっていると、その人の聴聞する姿が思い起こされてくる。
 その人は、耳もだんだん聞こえにくくなっておられるようだ。聴聞することを何よりの楽しみにされている人から、その一番大切な聴力が次第に奪われていく。どれほどはがゆいことだろうと思う。
 しかし、嬉しいときも、辛いときも、あるいは死の恐怖に襲われるときでさえも、きっとこの人は「如来様といっしょにいる」と確信されているのだと、その姿を見て思う。どのようなときでも、南無阿弥陀仏は私と共にあるということを、日々の生活の中で、具体的に実感されている。そんなふうに思える。
 翻(ひるがえ)って、ときに私たちは「もの忘れ」を怖れる。しかし忘れるためには、その前に「聞く」「知る」という前段階がいる。「聞いた」から忘れるのであり、「知った」から忘れることができる。聞かなければ、知らなければ、忘れることすらない。言い換えれば、忘れることは、聞いたこと、知ったことの証でもあり、一度(ひとたび)聞いたからこそ、また思い出すことができる。
 才市さんのような妙好人と呼ばれた人たちの、まるで仏様と直通電話でつながっているような、言うなれば一つの「境地」は、私にはそのまま素直に入り込む余地はない気もする。
 けれど、お念仏を忘れても、なにも心配することはない。なぜなら、たとえ私が南無阿弥陀仏を忘れようとも、南無阿弥陀仏が私を忘れないのだから。そのことに私は、いま素直に「はい」と頷くことができる。

 


東本願寺出版発行『今日のことば』(2013年版【11月】)より

 

『今日のことば』は真宗教団連合発行の『法語カレンダー』のことばを身近に感じていただくため、毎年東本願寺出版から発行される随想集です。本文中の役職等は『今日のことば』(2013年版)発行時のまま掲載しています。

 

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