宗教の社会的関わりと「利他主義」をめぐって
(名畑 直日児 教学研究所研究員)

 教学研究所では、新型コロナウイルスの感染拡大によって分断や格差が深まっている状況下において、人と人との関わりや宗教(寺院)と社会との関わりをめぐり、「利他」というテーマのもと、これまでの当研究班の近代における社会事業史研究の成果を踏まえながら検討を重ねている。
 「利他」とは、仏教においては、諸々の衆生(他)の救済のために尽くすことを意味し、自らを利する「自利」との二利を完全に両立させること(自利利他円満)が究極的な目的とされる。その一方で、キリスト教等を背景とする西洋文化圏には、自己の利益よりも他者の利益を優先させるアルトルイズム(altruism)という考え方があり、日本では「利他主義」という訳語が当てられている。そして「利他主義は最善の合理的利己主義」と述べた経済学者のジャック・アタリ氏をはじめ、政治・経済や哲学など、さまざまな立場の専門家が、新型コロナウイルスの問題が深刻化していく世界情勢の中で、この「利他主義」が重要であるとの発言を繰り返している。
 二〇二〇年九月二日、『利他主義と宗教』(弘文堂、二〇一一年)を上梓した宗教社会学者で、災害支援活動も継続的に実践されている稲場圭信氏(大阪大学大学院教授・宗教者災害支援連絡会世話人)に出講を依頼し、オンラインでの研究会を開催した。稲場氏による所内研究会は、二〇一三年六月(『教化研究』第一五五号「特集 震災と原発」参照)、二〇一五年六月、二〇一九年五月以来、四度目となる。今回の研究会では、「宗教の社会的関わりと利他主義」というテーマで講義をいただいた。
 稲場氏によれば、そもそも「利他主義(altruism)」というのは、十九世紀に活躍したフランスの社会学者であるオーギュスト・コントが、自己の利益を優先する「利己主義(egoism)」に対する概念として用いたのが始まりである。そして第二次世界大戦の後、欧米諸国では、多くの犠牲を生み出すような悲惨なことを二度と繰り返してはならないという信念のもと、「人類はなぜ戦争をするのか」といった人間の負(悪)の部分を研究する動きがあったという。その一方で、負の部分ばかり見るのではなく、他者への思いやりといった人間の善なる面、つまり「利他主義」を研究する動きがアメリカで生まれ、その後ヨーロッパや日本でも広がり、現在に至っている。
 また、内閣府の調査では、二十年ほど前の日本は、他者のことを思いやる人と自分本位である人との差が大きいとあり、それを稲場氏は「思いやり格差」というべき世相が広がっていたとされる。ところが一九九五年の阪神淡路大震災やその後もつづく自然災害の中で、その差が縮まり、他者を思いやる人が増えてきたという。そして、いつ自分が被災するかわからない状況の中で、相互に他者を助け合う心や連帯感といった「共感縁」が生まれたとされる。
 稲場氏は、他者を思いやり助けるという「利他主義」は、宗教的な環境の中で大いに育まれると述べられた。特定の宗教を信じる人の割合が少ない日本においても、「おかげ様」「感謝の気持ち」といった言葉が、今なお、多くの人々の間で共有されており、そのような「無自覚の宗教性」といったものが、大きな災害に直面したとき、大きな力になるとされる。そして宗教者の支援活動が縁となって、このような宗教的な背景をもつ「宗教的利他主義」が広がっていくのではないかとも提言された。
 研究会では、稲場氏の講義を受けて質疑応答が交わされ、浄土真宗における「利他」の意義や、「御同朋御同行」と言われることの意味、あるいは真宗寺院と地域社会の関わりについて、具体的な事例を交えながら確認をした。稲場氏の講義録は、『教化研究』第一六八号(二〇二一年六月発行予定)に掲載する予定である。
(教学研究所研究員・名畑直日児)

([教研だより(174)]『真宗』2021年1月号より)