あらたに生み出されたハンセン病隔離政策被害
「明治三十二年 癩病患者並血統家系調」の流出について

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」真相究明部会チーフ 訓覇 浩

 

「再発」したハンセン病差別被害

 2021年2月13日、長野県大町警察署が作成した「明治三十二年癩病患者並血統家系調」と題する調査台帳が、ヤフーオークションに出品されるという形で流出する事態が発生いたしました。流出を発見した市民や、その知らせを受けた長野県関係者などの素早い動きと、出品した古書店との辛抱強い交渉の結果、当該台帳そのものが市中に出るということは、未然に防ぐことができましたが、この流出問題は、ハンセン病問題の全面解決に向けて重大な課題を浮き上がらせました。

「明治三十二年 癩病患者並血統家系調」表紙

 私は、ハンセン病問題に取り組む市民団体である「ハンセン病市民学会」の事務局長として、長野県関係者からの要請を受け、全国ハンセン病療養所入所者協議会の藤崎陸安事務局長らと共に、この台帳の古書店からの引き取りに立ち会いましたが、実際に現物を古書店主から受け取った時、持つ手はふるえ、体中に戦慄が走るのを覚えました。また、このタイトルの文字は、人のこころを抉(えぐ)るような、禍々(まが)しい刃物のように目に飛び込んできました。

 この台帳は1897(明治30)年から内務省により実施された、日本で最初のハンセン病患者の全国一斉調査の中で作成されたものと考えられております。その台帳が古書店をとおして、オークションにかけられ、表紙のみならず、患者の実名などの調査内容の一部も「公開」された事実は、当該地域出身のハンセン病回復者や家族のみならず、全国のハンセン病隔離政策の被害を受けた人たちに対して、大きな不安と怖れを与えることになりました。

 また、今回の流出により、地域社会に密着する警察によってこのような調査がなされ、その台帳が決して厳格に保管されているわけではなく、どこにあってもおかしくない、流出がいつ起きても不思議ではない状態にあることが知れわたりました。いつどこで患者名や親族が特定され、偏見と差別に晒されるかわからないというこれまで以上の不安を、これから先も回復者や家族は持ち続けなければならなくなってしまったのです。

 私たちの社会は、「らい予防法」廃止25年、「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟(ハンセン病国賠訴訟)勝訴20年を経たいま、あらたなハンセン病隔離政策の被害を生み出してしまったということになります。

調査のもつ性格

 また、個人情報の流出という問題とあわせ、この「癩病患者並血統家系調」という調査の性格自体がもたらす被害も重大です。先日長野市で開催されたこの流出問題を考えるシンポジウムで、敬和学園大学の藤野豊教授は、「この調査が患者の調査だけではなく、「血統家系」の調査までしていることの意味はきわめて重要である。これまでは、当時、ハンセン病は感染症であるとしながらも、遺伝病という古い認識も残っていたから、このような調査をしたという程度にしか理解されていなかったが、「血統家系」まで調べたのは、遺伝病という古い認識の残存からではなく、ハンセン病に罹りやすい体質は遺伝するという知見から、患者だけではなく「血統家系」まで調査したと考えられる」(要旨)と指摘しています。

 そして、1915(大正4)年の全生病院での入所者への断種手術の開始、1916(大正5)年の全生病院長光田健輔による、全国の道府県に対する「特殊部落調附癩村調」の実施、さらに1919(大正8)年に実施された内務省衛生局による全国の「癩部落、癩集合地等ノ状況調査」などの流れの中で、この調査の性格を把握しなければならないことが提起されました。「明治三十二年 癩病患者並血統家系調」というタイトルそのものが、隔離と断種が一体化して、患者を社会から排除して、その子孫を断絶するというハンセン病隔離政策の本質を表しているということです。そしてそのような意図をもってなされた調査台帳の流出は、社会の中で未だ克服しえない、隔離政策によって植え付け、堆積せられたハンセン病患者や家族に対する市民の差別意識をよみがえらせ、実動させる働きをもつと言わねばならないと思います。

今後に向けて

 一昨年のハンセン病家族訴訟の原告勝訴を受けて設けられた補償金の申請件数は、予想された数を大きく下回っております。このことは、家族の偏見差別に対する不安がいかに深刻であり、らい予防法の廃止、ハンセン病国賠訴訟の勝訴、家族訴訟の勝訴を得ても、隔離政策の被害者にとって、この社会は安心して暮らせる社会とはとても思えないということを示しています。そのような厳しい状況の中に、今回の流出事件は追い打ちをかけるように惹起したのです。

 今回の流出事件をうけて、全国ハンセン病療養所入所者協議会はすぐに声明を発表し、国や市民に向けて再発防止を訴えました。また、ハンセン病問題の全面解決に向けて国と協議を続ける統一交渉団、そして本台帳を古書店から引き取ったハンセン病市民学会は、被害回復と再発防止のために、厚生労働省に対し、同様の資料が現在どのように保管されているのかの徹底調査や、このような公文書の作成と流出を生じたことがもたらした重大な人権侵害に対する謝罪などを求めています。

 現段階では、明確な回答や具体的な再発防止策は提示されておりませんが、類似する事象もすでに起こってきています。粘り強い行動を続けていかなければなりません。

 そして、最後に確認したいことは、今回の流出事件により、この社会が、未だ「らい予防法」を受け入れた社会から脱却していない社会であることが明らかになったということです。そのような社会の中で、いま市民一人ひとりが求められていること、それは、こうした文書の流出に関わる、あるいは見過ごすことが、重大な人権侵害につながる行為であるということを、あらためてあらゆる場面で明確にし、共有し、発信していくことであると思います。差別文書を流出させるような行為に対して、私は決して与(くみ)しないという主体的な意思決定をあらためて一人ひとりが行っていくことが、流出を許してしまう社会から、流出を未然に食い止めることができる社会、さらに流出を拒む社会への構造的な転換につながっていくのではないでしょうか。その一歩を踏み出すことが、あらたなハンセン病差別被害を生み出してしまった私たちの、大きな使命であると思います。

 

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年1月号より