心に太陽を持て
(都 真雄 教学研究所助手)

随分、昔に読んで印象に残っている詩があった。その詩の内容が不確かだったこともあって、調べてみると、「心に太陽を持て」という詩だった。
 

心に太陽を持て。/あらしが ふこうと、/ふぶきが こようと、/天には黒くも、/地には争いが絶えなかろうと、/いつも、心に太陽を持て。/くちびるに歌を持て、/軽く、ほがらかに。/自分のつとめ、/自分のくらしに、/よしや苦労が絶えなかろうと、/いつも、くちびるに歌を持て。/苦しんでいる人、/なやんでいる人には、/こう、はげましてやろう。/「勇気を失うな。/くちびるに歌を持て。/心に太陽を持て。」 (山本有三編著『心に太陽を持て』新潮文庫、六頁)


 
昔は知らずに読んでいたが、この詩は日本だけでなく海外でも有名で、作者はツェーザル・フライシュレンというドイツの詩人、翻訳者は『路傍の石』などを書いた小説家の山本有三だった。
 
この詩の翻訳は、一九三五(昭和十)年に発表されており、その四年前には満洲事変、三年前には五・一五事件などが続く困難な時代だった。山本は、その時代の子どもたちに、心の糧や温かい博愛精神を与えたかったという。
 
この詩を読んでみると、昔よりも心に大きく響くものがあった。新型コロナウイルス感染症の流行によって閉塞感があるからかとも思ったが、少し考えてみると、それだけではなかった。詩の原意は別として、読み方によっては、そこに念仏の生活が表されているように思えたからである。
 
この詩にある「太陽」や「歌」を念仏(信心)とすれば、教えに生きる生活が示されているように思えたのである。そこから、宗祖から現代に至るまでの多くの先学たちが、苦難の中をただ念仏して生き抜かれたことが想起された。さらに、その尊い念仏の生活が、現代に生きる私たちにまで、確かに伝統されていることが実感されたのである。
 
私がこの詩を読んで、そう思ったのは、『教行信証』に「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」(聖典一四九頁)とあり、この「恵日」が太陽の喩えであるからであろう。あるいは『教行信証』にあるその他の太陽の喩えのためかもしれない。
 
しかし、その時は思うことはなかったが、後に曽我量深師の影響が大きいことに気づかされた。曽我師は「山本有三の小説に『心に太陽を持て』というのがある。(中略)私ども浄土真宗の標語として「心に阿弥陀仏をもて」「心に浄土をもて」といえる。また「心にお念仏をもて」といえよう」(『曽我量深集』下巻、東本願寺出版、七四頁)と言っている。曽我師は内容に触れておらず、この詩は山本有三の小説ではないが、「心にお念仏をもて」という言葉が私の心に残っていたのだろう。
 
先行きの見えない苦難の多い時代に、念仏の教えをいただいて生きることができる。それは何にも代えがたいことである、とこの詩を縁として、あらためてそのように思われた。
 
(『ともしび』2022年4月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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