5月14日、福井別院において慶讃法要お待ち受け大会兼同朋大会が開催され、およそ200人が参加しました。


法要に先立ち、大谷裕新門の剃刀による帰敬式が執行され、66人が受式。厳かな雰囲気の中で受式者たちは手を合わせ、仏弟子としての新たな名告りである法名を受けとりました。 


法要では教区内の僧侶と門徒が出仕しました。出仕者の最年少は12歳。若々しい声が堂内に響くと、参加者は穏やかな笑みをたたえ、その声に続いて勤行を行いました。 


               勤行の様子


続いて、中島岳志氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)による記念講演が行われました。『親鸞と日本主義』(新潮社)などの著書があり、親鸞思想に詳しい中島さん。今回の講演では、2年前から取り組む「利他」の研究を紹介し、親鸞思想との関係性を語りました。 


研究を始めた動機は、近年、社会に広がっている自己責任論にあるといいます。すべては自分の責任であるという考え方が広がるとともに、私たちは孤立を深めてきました。中島さんはこの自己責任論を解きほぐす鍵が利他にあると見定め、その本質を探ってきました。 


中島さんは「私たちは、利他を、何かしてあげることだと思い込んでいる。しかし、利他の本質は、受け手に受け取られることで起動する」と語りました。大切なのは、私たちが既にいろんなものを受け取って生きている存在だと気づいていくことだといいます。 

          記念講演(中島岳志氏)


自己責任論を解く鍵は、私(自己)が、既に与えられた存在なのだとに気づくこと、と指摘した中島さん。そして「自分が与えられた存在だと知る時が、他力(阿弥陀仏のはたらき)に気づく時。利他と他力が結びついた世界があると、親鸞聖人は考えたのではないか」と語りました。 


自己責任論という考え方は、格差拡大によって、ますます勢いを増しているように感じます。今の自分が置かれた境遇は、自分のせいだと卑下したり、自分の力だと優越感に浸ったり。「南無阿弥陀仏」と称えるとき、私たちがもつ価値観の痛ましさ、悲しさ、愚かしさを、仏様から呼びかけられているのかもしれません。



(福井教区通信員 藤 共生)