問いを同じくする
(松下 俊英 教学研究所助手)

大学院に在籍していたころ、なにかをつかもうと経や論を読み進めるのだが、心に響くものがない、と感じたことがあった。ある先生にそのことを伝えると「課題を知らないからだ」と返された。経論の中で仏弟子が問うその課題を見いだし、自らの問いとしなさい、というのである。
 

仏陀釈尊が入滅されてすぐに、教えを正しく伝統しようと五百人の阿羅漢による「結集」(samgīti)が行われた。「結集」とは「ともに唱和する」(合誦)という意味があることから、比丘僧伽が守るべき「律」と、依り拠となる「経」を、ともに声を出して確認し合ったことであろう。
 

最初の結集から約百年後、律に関する解釈の相違により、僧伽は大衆部と上座部の二手に分かれ、二回目の結集が行われたと伝えられている。そして、時がたつにつれ、その二つの教団からさらに複数に分派し、それぞれの派が律と経を保持し、伝統していくことになった。
 

僧伽が二つに分裂した原因は、戒律解釈の違いであるから、「経」の方には伝承の相違がないように思える。ところが、相違どころか、派によっては全く伝承されていない経もある。ただし、どの派の経であれ、共通している点がある。それは「如是我聞」、あるいは「我聞如是」(私はこのように聞いています)という言葉からはじまるということである。
 

最初の結集では、摩訶迦葉が中心となって、優波離が律を、阿難が経を唱えたと言われている。「如是」の原語(evam)は、「このように」という意味だけではなく、「その通りである」と同意することでもある。そして「我聞」の「我」とは阿難のことを指すが、「ともに唱和した」五百人の阿羅漢のことでもある。もし、阿難が釈尊からお聞きした教説を誤って語ったならば、結集した阿羅漢たちは、それを是正したはずである。そうではなくして、ともに誦出したのであるから、彼らもまた、その教説を以前に聞き知っていたということになる。そして、阿難が「私はこのように聞いています」と語り出すのだから、阿羅漢たちは、まさに自身への教えとして、改めて受け止め直したことであろう。
 

そもそも「経」とは、弟子などの問いに応答する釈尊の教説として、正しく伝統されてきたものである。だから釈尊の教説を本当に知るには、問われた「課題」そのものが、私自身の問いにならなければならない。阿難をはじめとする五百の阿羅漢には、問いを同じくする心があった、ということなのである。
 

経や論を読むための技術や知識は確かに要る。だが、本当に必要なのは、経や論の課題を、自らの課題とすることである。それが、仏弟子たらんとする姿勢なのではないだろうか。
 

大学院で受けたことばは、今もなお、私の心に刻み続けられている。
 
(『ともしび』2022年7月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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