寺院活性化支援室 過疎・過密地域寺院教化支援では、寺院活性化支援員を派遣し、お寺の現状や課題、要望をていねいにお聞きし、寺族と門徒と一緒に教化の取り組みを考えています。

2020年7月、九州教区が発足しました。九州教区には約820の真宗大谷派のお寺がありますが、その沢山のお寺のサポートを目的とする九州教区寺院活性化支援室も設置されています。
このたびは、その九州教区寺院活性化支援室の支援員養成を目的として行った、フィールドワークについてレポートします。このたびのフィールドワークでは、九州教区熊本東組江善寺さま、同組光西寺さま、八女組光善寺さまにご協力いただき、事務局含め総勢10名で現地に足を運び、お話をお聞きしました。

【九州教区熊本東組 江善寺さま2022年9月12日】

南阿蘇村にある江善寺さま。雄大な阿蘇山が北側に見え、お寺の周りは田んぼや畑が広がっています。聞き取りには、住職・坊守で参加いただきました。

江善寺の開基は1644年、今の本堂は明治4年にできたとのこと。

・ご門徒はやや減少していて、昔であれば地元を離れて仕事をしていても、後々は戻ってくるということがあったが、戻って来なくなった(主な産業が農業であるからか?)。 

・地域の伝承・・・山の日がある。8月16日は山に入ってはいけない。毎月16日もよくない。

御正忌ということ言葉は通じるけれども、報恩講と言っても通じない(御正忌を報恩講という意味で使っている)。住職をおじゅっさん(お住持さん?)、坊守は坊守さん。

・お斎はコロナで中止せざるおえなかったけど、御華束は「やめよう」という言葉も出ないで続いている。

・7時と18時に梵鐘を必ず突く。(鐘を目安に時間を把握されているので、遅れると「昨日は遅かったなー」と言われてしまう)

・お彼岸より報恩講の方がお参りが多い。

・同朋の会を40年以上続けている。もともとお講があった(頼母子講の発展?)。毎月8日、昼はご高齢の方、夜は青年の方。内容は、お勤め、お話、茶話会。とにかくできるカタチでするしかない継続、とにかくお寺に足を運んでもらうようにしたい。

・月参りという習慣はないが、お盆とお内仏報恩講は門徒全戸をまわる。

・花まつりは女性門徒が担当。子どもたちに食事をつくり、300円程度の記念品を用意する。地域行事となっていて、門徒でない方も参加いただいている。

〈工夫〉

・お寺で肩衣を準備していて、お参りの際は必ず付けてもらう。

・お勤めの本を畳の上に置かないように「心得:おつとめの本は直接たたみの上に置かないように」と大きく表示

・本堂内に図書コーナー

・内陣にカーテンレールを取り付け、「三帰依」など唱和する言葉が参詣席から見やすくする

〈要望〉

・300円程度で配ることができる、子どもを対象とした記念品のパターン表示。

【九州教区熊本東組 光西寺さま2022年9月12日】

上益城郡山都町にある光西寺さま。山間部にあり、もう少し足を延ばせば宮崎県・高千穂があります。お寺の周りには、小学校・保育園・郵便局・二瀬本神社。聞き取りには、住職・坊守・門徒の田上義廣さん・飯星けさよさんで参加いただきました。写真にある煮物は、住職が作られて私たちにふるまっていただいたものです。

光西寺の開基は1666年、もともとはこの地にお寺があったわけでなく、ご門徒方に願われてこの地域にお寺が移転してきたとのこと。本堂の天井板には無数の絵が描かれており、移転当時より前からあるのだそうです。

・ご門徒は大きく減少していて、一人の方が亡くなれば門徒が一軒なくなるといったところ。農業中心で、仕事と言えば、役場、農協、森林組合であまり仕事先がないのが現状。2005年に蘇陽町、矢部町、清和村の3つが合併して、当時の人口は4,277人であったが、今では3,139人。過疎化が進んでいる。

・昔は子どもがいっぱいいましたが、今はあまりいない。中学校は40人が3クラス、小学校は全校児童70人程度で、5つの学校が一つになっていて10km以上遠くからスクールバスで通っている。家族も分散化、お寺の後継者も心配・・・。

・ちょっとの買い物は20Km弱の高森町に行き、特別な買い物は60Km先の熊本市街に行く。

・町の移住政策はあるけども、ポツポツの状態。都会の人が3年は補助がでるので3年はいるけど、その後また移住するようだ。テレビで言うようには、なかなか上手くいかない。また、空き家を貸そうとする人が少ない。住んでいなくても、家の中に荷物がいっぱいあったりする。

・地域の伝承・・・特には見当たらないが、二瀬本神社があってご門徒は地域の神社として関わっている。ちなみに、近隣には大谷派寺院はなく、本願寺派が5カ寺ある。

報恩講と言うより、御正忌の方がなじみがある言葉。ご門徒の80%はお参りいただいている。餅つきは地区で、お斎は地区の持ち回りで。

・私が住職になってから、正信偈の勉強会、御華束づくりをはじめた。そうやって、一緒にやっていくことによってつながっていけている。

・親世代、子世代が同居すると、「御正忌にいかなんぞ報恩講にお参りに行かないといけないぞ)。」と言われ、お参りに行くものだというようになっていく。私がそうだった。

・(他のお寺のことですが)お寺が解散したら、もうどこのお寺ともお付き合いしないという言葉も聞いたことがあるし、「御経もテープでいい」、「四十九日まではお坊さんにお参りしてもらうけど、それ以降はテープでいい」と言っているのも聞いたことがある。年金生活だから、護持金が出せないという方もいる。

・お寺と門徒は親戚兄弟である。

〈工夫〉

・掲示板の言葉を毎月更新。ご門徒に道から見える位置に掲示板を作ってもらった。保育園の園児の親から「いつも楽しみにしています」と言われて励みになっている。いいなと思った言葉は、お座敷など掲示しておく。(書く言葉はインターネットなどいっぱい落ちている。時宜にあった言葉を選ぶ。)

・本山にお参りに行こうと声かけをしている。

【九州教区八女組 光善寺さま2022年9月13日】

八女市にある光善寺さま。道路から少し山を上がったところに駐車場、境内があります。聞き取りには、住職に参加いただきました。

光善寺の開基は1531年、佐世保別院の職員、常勤補導、専修学院で9年勤め、九州大谷大学の授業を受け持ったというご住職。

・ご門徒は減少傾向で、農業、林業が主な地元の産業。八女茶はあるが、なかなかお金にするのは難しいこと。若い人は仕事で出ていき、残されたる70才が米作りをしている。

・真宗門徒がほとんど。かつて「若い男が昼間からお寺へ行ってはならぬ」というおふれ書があったらしい。

・「お内仏のない家は小屋」・・・よか小屋が建ったねえ。(人が住むところには、お内仏が必要)

・「親さまのとこに還らせてもらうとやんけんが、おんなこつはよろこばやんごたるこつばってん」(親鸞さまor阿弥陀さんのところに還らせてもらうことは、喜ばしいこと)

・「一生はあっというまぞ」

・月参りはない。お取り越し(報恩講)のお参りはある。枕経・通夜・七日参りも行ってなかったので、住職就任を機にお参りするようになった。

・団体としてお勤めの会、合唱団、仏青、子ども会、ピアノ教室もある。

・大人のための絵本お読み聞かせを月1、夏に寺子屋合宿1泊2日(日程に4回お勤めの機会がある)

〈工夫〉

・恩徳讃を最後に必ず歌うようにした。

・5日間報恩講を勤めている。報恩講に全ての団体に関わっていただく。例えば帰敬式には合唱が入る、御伝鈔の練り出しのロウソクの係を子ども会が行うなど

・帰敬式の時、自分で法名を書いてもらう機会を作っている。

・寺報を月1回、全門徒に送っている。同朋新聞も送る。

・親鸞聖人のオリジナル紙芝居を、楽器による演奏、効果音を用いて上演する「光善寺念仏一座」として、230回公演している。

〈要望・思い〉

・お寺では、それぞれに工夫していろんなことをしている。実際にやっていることをまとめて発信していきたい。

・門徒さんと一緒にやっていくという姿勢が大事。