凡夫は、われらなり

著者:松井憲一(元大谷大学非常勤講師)


凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし

(『親鸞聖人血脈文集』真宗聖典五九四頁)



我々は、善いこともしているようにも思いますが、親鸞聖人は「わるきものとおもうべし」と言われるのです。


敬老日 孫をあずけて 子は出掛け
実家とは 無認可無料 託児所か


親子兄弟の間であっても、自分からしか見えませんから、「来て嬉し 帰って嬉し」の孫をあずかりながら、文句の一つも言いたくなるのであります。


「正信偈」を見ますと、曇鸞大師のところでは、「惑染の凡夫」、道綽禅師のところでは、「一生造悪」、源信僧都のところでは、「極重悪人」、源空・法然上人のところでは、「善悪凡夫人」とあります。


高僧方は、本願に遇われて、凡夫の自覚に立たれていたことが示されています。それは、自力の計らい、全部、自分の都合からしか発想しないことの愚かさ、罪の深さを教えられているのでありましょう。


私は、仏跡をよく訪ねるのですが、初めてインドへ参りました時に、ホテルのロビーの世界地図を見てびっくりしました。地図の真ん中にはインドが描かれていますから、日本は、右端の上に小さく描かれているだけでした。新聞でも放送でもみな自国が中心ですから、日本では日米・日中・日韓ですが、アメリカへ行けば米日、中国では中日、韓国では韓日になるのであります。


京都の路地は、車の一方通行が多いので、友人が車で訪ねてくださる時には、「家の裏に病院があります」と言います。するとその病院のところまでこられて、電話をかけてこられます。その時は、仕方がありませんから「その裏にうちの家があります」と言いますが、思いはいつも自分が表なのです。


仏さまの「煩悩具足の凡夫よ」との呼びかけは、自分では気づこうともしない闇、自分では気づけない闇を照らし出してくださるのです。


それで聖人は、「凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし」と言われるのでありましょう。


法話CD心に響く法話シリーズ⑥『凡夫は、われらなり』(東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2019年版④)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2019年版)をそのまま記載しています。

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