真宗遇いがたし

著者:四衢 亮(高山教区不遠寺住職)


真実を宗とする、まことを中心とする教えとはどういうことでしょうか。その真宗について親鸞聖人は「遇いがたし」と言われています。真宗に遇うことは難しいということです。これはどういうことでしょうか。このことから「真宗」ということを尋ねてみたいと思います。

このことはもともと『仏説無量寿経』( 大経)というお経の最後で「真宗の教えを聞いて信じ受け取ることは、たいへん難しく、これ以上難しいことはない」とお釈迦さまがおっしゃっているのです。

しかし、教えを説いてこられたお釈迦さまが、最後に、〝説いてきたこの教えを聞いて信じることはとても難しく、これ以上難しいことはない〟と言われるくらいなら、なぜもっと分かりやすく説いてくださらないのかと言いたくなります。

ただ注意して見ると、教えの内容が難解なので私たちには理解できないという意味で難しいと言われているのではないのです。教えに遇う、聞くことが難しいと言われているのです。せっかくお釈迦さまが説かれたのに、聞けない、聞こうとしない、背を向けて遇うことがないということです。

ですから、お釈迦さまの教えが難解なのではなく、聞こうとしない、聞けない、出遇えない私たちの方に問題があるのでしょう。その問題を親鸞聖人は、「邪見憍慢の悪衆生」と表され、私たちの邪見・憍慢が、真宗の教えに遇えない原因なのだと言われます。

しかし、注意しなければならないのは、そうした邪見・憍慢ということがあったので遂に真宗に遇うことが無かった、と親鸞聖人は言われているのではないということです。親鸞聖人は自らの著書で、真宗に「遇いがたくして今遇うことを得たり」と言われています。つまり出遇うことによって、遇い難くしていたのは私の邪見・憍慢の心や姿勢であったと分かったということです。

出遇ったからこそ、出遇い難いということが言えるのでしょう。出遇わないままなら、その教えがあることも分かりません。遇ったからこそ、遇うことの難しさ、それを妨げていたものが見えてくるのでしょう。逆に言えば、遇い難くしていたものが明らかになることが、出遇ったことの証でもあるのです。

ワンコインブック『真宗』(東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2019年版⑤)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2019年版)をそのまま記載しています。

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