伝道掲示板 

人と生まれた悲しみを

知らないものは

人と生まれた喜びを

知らない

(金子大榮)




新潟県の上越市は毎年平野部でも多くの雪が降り、町の中には(がん)()と呼ばれる屋根付きの歩道がある街並みである。そんな街の中に最賢寺は建っている。掲示板の位置も通りに面しており、小中学校の通学路にもなっている。ちょうど信号も近いため、停車中に掲示板に目がとまる。また、最賢寺には大きなイチョウの木もあり、お寺に用がなくてもイチョウの木を写真で撮りたいと訪れる人もいるそうだ。


通りに面した掲示板

今回お話を聞いたのは、最賢寺住職の正美さん、娘夫婦の詩織さんと光洋さんの三人である。家族で協力しながら日々のお勤めのほか、教化学習会や子ども食堂なども行っている。


掲示板を始めたのは、住職の正美さん。「昭和五十年頃、「一ヵ寺一同朋の会」運動に合わせて始めた。初めの頃は月参りで伺う門徒の方々から言われた言葉を自分でメモしていたが、筆字に自信がなかった」と話す。そんな中「これは誰の言葉?」と住職のお母様が声をかけて、同時に「住職が書くことが大事なんだ」と言ってくれた。その頃は今より教化用の言葉が少なく、本山に行く機会があれば言葉を探したり、響く言葉を聞いたりして、月に一度掲示板を替えることを目標としていた。

左から正美さん、詩織さん、光洋さん

それから時が経ち、娘の詩織さんが自坊に戻ってきてから掲示板の係をバトンタッチしたという。詩織さんは「初めのうちは早く次のものに替えたら? と父に言っていたが、自分でも替えてみようと思ったことがきっかけでした」と話す。言葉は今まで書いたものや標語のポスターを50枚くらい並べて、今の自分がこれだという言葉を選ぶという。小学校低学年でもわかるようにフリガナを振ったほうがいいか考えたこともあるが、その時はわからなくとも記憶に残ってくれればと3人は話す。今では3ヵ月に一度のペースで言葉を替えておられ、掲示板の言葉が長く人の目につくことにより、「この言葉はどこに載っていますか?」と尋ねる人や、メモする人が増えたという。


境内に立つイチョウの木


光洋さんは「わからないというよりもどれだけ印象に残っているかが重要で、どう思うかは人それぞれ。思いが全部伝わらなければいけないということもないし、受け手が別の思いを感じてもいいと思う」と話す。「貼ってあるものでわかりやすいものは一つもない。わかりやすいものほどわかりにくい、そんなものは当たり前だと通り過ぎることができない言葉がたくさんある。意味がわからないほうがいいかもね(笑)」と。


人との繋がりが希薄化していく現代に、掲示板の果たす役割は大切なものとなっている。話を聞きながら、掲示板と境内のイチョウが同じ役割をしているのではと感じることが多くあった。どちらも興味を持つきっかけの一つに過ぎないが、そのきっかけが重要なのだ。お寺を身近に感じてもらう窓口として、いつでも人に向けられているということを感じる取材となった。


(高田教区通信員・二所宮岳)

『真宗』 2023年4月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:高田教区第六組最賢寺(住職 金子正美)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。