柳宗悦は、学習院高等科で仏教哲学者の鈴木大拙と哲学者の西田幾多郎に学び、終生師と仰いだと言われています。特に鈴木大拙とは、お互い考えに同意するところが多かったため、その交流は柳が亡くなるまで生涯続きました。

その出会いは、1909(明治42)年頃に始まります。もともとは、教師と生徒という関係でしたが、日本および東洋の文化や思想を西欧世界へ紹介するだけでなく、東洋・西洋という対立を超える視点を持ち合わせていたことから、互いに信頼を寄せる関係でした。

1945(昭和20)年、鎌倉にいた大拙を訪ねた柳は、大拙から『日本的霊性』などの著書を贈られます。そして『日本的霊性』で取りあげられている「妙好人」に注目していきます。

この「妙好人」の「妙好」とは、白蓮華のことを指します。『仏説観無量寿経』に「もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華(ぶんだりけ)なり」と説かれています。

そして、それを受けて親鸞聖人は『正信偈』に、「一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願(ぐぜいがん)を聞信すれば、仏、広大勝解の者と言まえり。この人を分陀利華と名づく」と記されました。そして、いつしか、泥の中に育ちながら浄い花を咲かす蓮のように、浄らかな信心をもつ念仏者を「妙好人」と呼ぶようになり、江戸末期には、浄土真宗の教えに生きた念仏者157人を伝記にした『妙好人伝』が編集されました。