大拙は、『日本的霊性』の中で、赤尾の道宗と石見の浅原才市の宗教心について論じています。

浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んで居る人を妙好人と言って居る。彼は、学問に秀でて、教理をあげつらうというがわの人でない。浄土系思想を自らに体得して、それに生きている人である。(中略)妙好人の筆頭と思われるのは、蓮如上人時代にいて、上人のために警護の人ともなり、また深心を捧げての弟子でもあった、越中赤尾の道宗であろう。

(鈴木大拙『日本的霊性』)

『日本的霊性』の中の禅と念仏の交流に就ては、小生の心中を目下往来せる最も魅力ある題材とて、此冬に熟読するのを楽しみにしております。

(柳宗悦書簡 昭和20年12月17日、鈴木大拙宛)

柳は、民衆の中に現れ、どこまでも素朴で、浄土の教えが深々と生活そのものとなっている名もなき篤信の念仏者に惹かれます。そして、1946(昭和21)年に、赤尾の道宗の足跡をたどるため南砺から山を越えた五箇山(ごかやま)を訪ねます。

親鸞聖人や蓮如上人が教えをもたらし、妙好人がそれを土地に定着させ、その土地に生きる民衆が生活をとおして教えを熟成させる、そのような南砺の土地に惹かれた柳は、棟方志功が福光に疎開中毎年南砺を訪ね、そこで集う人々と交流しました。