恩師鈴木(すずき)大拙(だいせつ)から贈られた『日本的霊性』で妙好人に強くひかれた柳宗悦は、1946(昭和21)年5月に城端におもむき、赤尾の道宗(どうしゅう)の行德寺がある五箇山(ごかやま)を訪ねます。

昭和21年5月27日のこと、私はたまたま越中東砺波(となみ)城端(じょうはな)別院の客となった。この旅では、高坂貫昭、石黒連州両師の厚諠(こうぎ)に浴した。その夕べ私は寺宝「弥七の御文」を見ることができた。それは蓮如上人が赤尾の道宗に与えられた消息である。

(柳宗悦『蒐集物語』「色紙和讃に就いて」)

赤尾の道宗は、富山県の南西端で1500m級の山々に囲まれ、庄川沿いに位置する自然豊かな景観と合掌造(がっしょうづく)りの建物で知られる五箇山に生まれました。五箇山は日本有数の豪雪地帯のため、堅固で、また、養蚕(ようさん)や特産物であった火薬の原料となる塩硝(えんしょう)作りの空間を確保するため独自の合掌造りの家屋が発達したと言われています。