源左の口ぐせは、「ようこそ、ようこそ」でした。「ようこそ」とは、因幡地方の方言で、「ありがとう」という感謝の心と、「よくいらっしゃいました」というおもてなしの心を意味します。源左の人生は、1930(昭和5)年88歳で没するまで苦難の人生ではありましたが、その言葉やその姿で多くの人々に教えを伝えました。

柳宗悦は、源左を知る人々を訪ね歩いて様々な話を聞き取り、その人柄について、次のように記しました。

彼は動的であった。(中略)彼の信心は直ちに行いそのものに深まっていった。彼は絶えず聞法を(おこた)らなかったが、同時に得たものを進んで人々に届けた。彼が人に接することを好んだのは、これによって法話が出来るからである。(中略)彼との縁にあづかることを人々は心待ちに待った。彼は寺からも大家からも百姓家からも招かれる身であった。彼は人々を仏縁に繋ぐことを常に努めた。

(柳宗悦『妙好人 因幡の源左』)