また、柳は源左を通して妙好人についてこのように語っています。

妙好人を個人的天才と考えるより、信者全体が育てたその代表者として考えるほうが至当だと思われてならぬ。(中略)妙好人は真宗の園生に咲くいとも美しい花なのである。だが花のみを見て、それを(つちかい)い育てる力を見忘れてはなるまい。(中略)源左は無数の信徒の結晶した姿なのである。源左の中には真宗の信徒全体がいるのである。逆にいえばそれぞれの信徒に源左がいるのだといえる。

(柳宗悦『妙好人 因幡の源左』)

1950(昭和25)年9月、柳は源左を知る人々から集めたエピソードから、『妙好人因幡の源左』を大谷出版社より刊行しました。

大谷出版社は、当時東本願寺内に所在し、柳と親交があった大谷派の僧侶の小山乙若丸によって営まれていました。この本の題字は、蓮如上人の文字から発想を得た文字で書かれたといわれており、特製版の紙には、柳のたっての希望により、源左の故郷の山根和紙が使用されています。