座談会「いま 伝えたいこと つないでいくこと」(前)

山陽教区光明寺 玉光 順正

 東北教区蓮心寺・「ハンセン懇」委員 本間 義敦

富山教区正覺寺・同委員 見義 智証

名古屋教区圓福寺・同委員・司会 加藤 久晴

  

交流こそが人間回復の橋

加藤 今日はよろしくお願いします。これまで真宗大谷派は全国のハンセン病療養所とつながりをもってきましたが、現在のような交流の形をはじめたのは玉光さんではないかと思っています。布教ではなく、交流としての一歩を踏み出したきっかけは何だったのですか。

玉光 私が長島愛生園に初めて行ったのは、園で行われる慰霊祭でした。その頃山陽教区では定例布教の形で月に一度僧侶の方が一人で行かれていました。私はその後、町の解放運動学習会等で、ハンセン病問題を少し学び始め、そのグループで愛生園へ行き始めました。多い時は20人ほどで、その中には何人かの子どもとそのお母さんたちも参加していました。1988年に園のある島を結ぶ橋が開通するまでは、日生港から船で島へ行っていました。その後、隔離された島と社会を繋いだ橋として「人間回復の橋」と呼ばれていますが、私にとっては交流こそが、人間回復の橋なのではないかと思うようになりました。

加藤 入所者の方は子どもをもつことが許されなかったので、子どもが参加していたことには驚かれていたでしょうね。そういった訪問をきっかけに、交流という形が生まれてきたのでしょうか。

玉光 それが全国的に広まっていきました。布教に行ってお説教をすることよりも、大勢で行って友だちになって交流をしたということです。交流をするようになってから、今度は寺の報恩講に愛生園のバスで大勢の人がお参りに来られたことも何度かありました。寺に来られて一緒に食事(お斎)をした時の入所者の方の笑顔が忘れられないとよく一緒に園へ行っていた妻は話していました。

加藤 隔離されてきた方にとって、外で食事をともにすることは喜びだったのでしょう。全国的な療養所との交流は、「ハンセン懇」が立ち上がってから始まったというよりも、それ以前から各地で行われていたということでしょうか。

玉光 私が全国各地の療養所に行った時には、各療養所でもすでに交流をしていた教区の人たちもいて、その方たちと一緒に行きました。そうした動きの中で「ハンセン懇」が組織されて、全国交流集会なども行われるようになっていきました。それまではお互いが療養所でどんな交流をしているのかを話す場はなかったと思います。

見義 私は大学時代に療養所に行ったことがあるのですが、その後は、ハンセン病問題をきっかけにして、部落差別問題や靖国問題、また東日本大震災のことについても、そこに行って、そこの人たちと出会い、交流することの大事さを思ってきました。

 一方で、周りから見るとただ現地へ行って、おいしいものを食べて帰ってきているだけじゃないかという意見もありました。教区の教化活動としては、予算の都合もあり、好きな人が行っているだけではないかと言われる面もあります。しかし、そこに身を運ぶことが大切であると言い続けることも、一人ひとりにできることではないでしょうか。

  

団子とおにぎり

本間 「一人ひとりにできること」ということですが、玉光さんは以前から「一人になる」といった言葉を言われています。「ハンセン懇」の活動が組織的になると一つの方向性を持ってみんなで纏まりますが、同時に、そこに集まる特定の人たちだけが交流をしているように見られているのではないかと感じます。一人になるということに難しさを覚えます。

玉光 そもそもみんなで纏まっても一人なのではないでしょうか。例えるなら、団子ではなくて、おにぎりです。団子は潰して混ぜて一つの形になりますが、おにぎりは一粒一粒がお米のままです。一人になれば、一人と繋がるということがありますが、混ぜてしまえば相手も自分もいないことになります。

 入所者の方たちとのことで言えば、何かお説教に行っているとか、先生として行っているのではなくて、お互いに一人の人間と一人の人間という関係が生まれるような姿勢が大事だと思います。それは、お互いが人間として出会う時の本当に基本的なことであり、ハンセン病問題に限ったことではありません。その中で、自分がいったい何を本当に伝えたいのか、一人ひとりが考えていくことが必要ではないでしょうか。

 そう考えることとして、最初のころ、「あなたたちが本当に人間回復されない以上、そこへ閉じ込めた側の人間も、実は回復されないのです」という私の言葉に反応してくださった藤井善こと、伊奈教勝さんの本名の名のりも大きく影響したと思います。

見義 私はハンセン病問題をいつまでするのか、なぜ部落差別問題や靖国問題を学ばなければならないのかという問いに対して、そういう問いが出てこないように抑えていく取り組みというよりも、その問いに対してしっかりと応答していくものをもつことが重要であると思っています。というのも、教団が単に画一的に隔離政策はいけなかったのだと言っていくことは、これまで教団を挙げて隔離を推進してきたことと本質的には同じような気がしています。先に答えをもらって、それを自分の拠り所にするのではなくて、玉光さんが言われていたように、一人になるということと、一人ひとりが考えていくという動きが、私たちがよく使う「問われる」「課題にする」「問いを持つ」ということの本当の意味なのではないかと思っています。

玉光 ハンセン病問題のほかにも社会問題はありますが、それぞれの問題に同じ姿勢をもって対応できるようなものを、しっかりと一人ひとりが考え続けることが大切だと思います。念仏者とは、そういうことではないかと思うのです。ひとつの答えがあるのではなく、私たち一人ひとりが、自分がどのような姿勢でそれぞれの課題に向き合うのかと思考する。そのことが、ハンセン病問題から問われているのだと思います。

(次号につづく)

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2024年5月号より