2024年8月7日。福井市の淨光寺では、毎年の恒例行事が開かれていた。「浜三郷御書披露法会」。前住職の宇佐美賢樹さん(87)が勤行のあと教如上人のご消息を読み上げて披露した。ご消息は、淨光寺の地元・浜三郷地域の門徒たちが石山合戦の際に兵糧を届けてくれたことへの感謝を述べ、最後にこうつづられている。「いよいよ信心決定候て佛恩報謝の称名念仏油断あるべからず」。
淨光寺は戦国時代末ごろに前身となる寺庵が創建され、教如上人に帰依して天台宗から真宗へと転じた。浜三郷の人たちは、以来、淨光寺を拠点のひとつに教えに親しんできた。現在地には江戸時代前期に移転。現在の本堂は江戸時代後期の文化年間に再建されたものだ。2011年には本堂の大規模改修を行った。
そして、昨年から始めたのが「お荘厳日」。6月の永代経と10月の報恩講の前に門徒に呼びかけ、寺族と門徒がともに寺の掃除をする。「ここは、門徒さんの力によって維持されてきた地域のお寺。さまざまな年齢の方に参加していただくことで、まずはお寺に関わっていただき、ひいては真宗の教えにも関心を持っていただきたい」と18代目住職の宇佐美雅樹さん(58)は狙いを話した。
雅樹さんは長く歴史の教員をしてきた。研究テーマは「江戸時代の仏教史」。これには理由がある。「江戸時代に仏教は堕落した」という通説に疑問があったからだ。「ひとつの例として、江戸時代の文化年間ごろに起きた三業惑乱は負の歴史として捉えられがちだが、越前では門徒さんが数万人規模で(三業派がとなえる)法義相続のために集団行動を行ったり、安心治定(三業帰命説を確かな信仰内容と定めること)を求めて福井藩に対し積極的な訴願などを行ったりした歴史的事実がある。そのような門徒たちのエネルギーが背景にあって、当寺を含めこの地域の寺が支えられてきた。これをもって堕落といえるのだろうか」。疑問の奥底には、教如上人を支え、寺を支えてきた、この地域の門徒の歴史がある。
取材した日、住職と前住職の賢樹さん、そして長男の朋樹さん(24)、宇佐美家三代が出迎えてくれた。雅樹さんは「長くこの地でお寺を続けさせていただいた。これからもお念仏をつないでいく場でありたい。そして、それぞれのご家庭でお念仏をつなぐお手伝いができたら」と話されていた。
(福井教区通信員・藤 共生)
*本願寺派の宗義安心に関する論争
『真宗』2024年9月号「今月のお寺より」
ご紹介したお寺:福井教区第5組淨光寺(住職 宇佐美 雅樹)※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しております。