「お前も行ってこい」
(松林 至 教学研究所嘱託研究員)

磁石に釘の引かるるままが後の釘を引く
これをこれを自信教人信という

 

 真宗大谷派講師をつとめた三河の念仏者、大河内おおこうち了悟りょうご(一八九七~一九七六)の言葉である(筆者蔵墨書)。
 
 電磁気や熱が物質を伝わる現象を「伝導」と記し、布教によって教法の伝わることは「伝道」と記されるが、いずれにおいても、触れたものが同等のはたらきを帯びるがゆえに次へ次へと伝わっていく。磁石そのものでなく、絶縁体でもないものによってなされるのが伝導、そして伝道である。
 
 去る五月、しんらん交流館において教学研鑽機関全国交流会が開催された。全国から各教区に置かれた教学研鑽機関の代表が参加し、二日間の日程中、活動の報告や意見交換、講義、座談を行った。懇親会を含め、私自身初めてお会いする方々とも多くの交流の時間をいただいた。
 
 そこでの協議のなかで、それぞれどのように参加者を募集しているか、どうすれば多くの方に学びの場へ足を運んでもらえるだろうか、という話し合いがあった。参加する僧侶の専業・兼業の違いにおいて時間帯をどう設けるか。広い教区内での移動距離の問題をどう考えるか。いくつもの課題が挙げられたが、最後にある教区の代表から、「学びを修了し、各地域や組に戻られた方が「お前も行ってこい」と次の参加者を押し出してくれています」との言葉があり、冒頭の訓示が思い起こされた。そこでの学びを体験した者が「お前も行ってこい」と背中を押して場に送り出す。それは、「お前も来い」と引き寄せているとも言えよう。
 
 絵本作家の五味太郎は、子どもたちへの眼差しから、「そもそも「わかった」人間が「わからない」人間に教えていくという今の教育の構造が、全部まちがってるんだと思います」(『大人問題』講談社文庫、二〇〇一年、一五四頁)と厳しい指摘をしている。そして、


いちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも「わかろうとしている人」です。「人生、そこらあたりが問題なんだよね」と問題を世代を超えて共有できる人(中略)が、学びたいと思った子どもには教材になるなと思います。(同一五六頁)

と述べている。
 
 「お前も行ってこい」と押し出す人はどういう人であるか。私はもうわかったという思いで磁石から離れれば釘は途端に磁力を失う。人を押し出せる(引き寄せる)人は「今でもわかろうとしている人」だと思う。交流会では、指導的な立場であるがゆえの「どうやって学んでもらうか」という苦労と共に、「今自分はこれが学びたい」という話をたくさんお聞きした。不遜な言い方となるが、全国の釘の「交流」なのだ。この場にもまた、大切なものが交わり流れていると感じさせていただいた。
 
 喩えを広げればきりがないが、磁力は距離の二乗に反比例する。磁力をきわめて大きく左右するのが互いの距離だ。「お前も行ってこい」という声が響き合うところに人はいるか。僧侶同士の話だけではない。それぞれの寺を拠点とした真宗門徒の互いの距離は今どうなっているか。それこそが各機関の課題であり、釘にとってはそこに全てがかかっているように思う。


(『ともしび』2024年10月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)


お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199 真宗大谷派教学研究所 TEL 075-371-8750 FAX 075-371-6171