2001(平成13)年 真宗の生活 2月 【聞】
<日本海に宗祖の声を聞く>
いつ行っても、何度行っても感じることですが、新潟の居多ヶ浜に立ちますと、親鸞聖人の声が聞こえてくるように思います。
聖人は三十五歳のとき、念仏弾圧によって京から越後に流され、それから足かけ五年、赦免までこの地に滞在されました。それから七百九十年余、いま、居多ケ浜近くの松林の中を歩くとき、宗祖がどのような思いで歩かれただろうか、また、湾曲した海岸の向こうの米山をどのように眺められただろうか、などと思いを抱くことがあります。冬、暗くたれこめた雲が日本海から冷たい風とともにこちらにやってきますと、それは吹雪となって私の身を包みます。そのときには、「海」といえば荒れた世界であると感じてしまいます。
しかし、宗祖が感得された海は少し違うようです。「大悲の願船に乗じて光明が広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず」(『教行信証』行巻)と述べられていますように、海は広く穏やかで、そこに浮かぶ本願のはたらきの船に乗れば、私たち苦悩の衆生をたやすく阿弥陀仏の世界に渡してくれる、と語られています。
聖人が体験された居多ケ浜界隈の生活は、どのようなものだったのでしょうか。私たちは、ややもすると冬の日本海の世界を想像してしまいますが、宗祖の眼は違うものを見つめておられたようです。海はいつも荒れているとは限りませんが、海に大悲の姿を見られた聖人の眼はどのようにして感得されたのか、想像を巡らせるところです。若き宗祖は、この地で人ぴとと、どのような言葉を交わされたのか、その思いを抱きつつ、「海」「船」などの言葉から阿弥陀仏の世界を聞き開いていきたいと思います。
『真宗の生活 2001年 2月』【聞】「日本海に宗祖の声を聞く」