この年開館する日本民藝館に《瓔珞譜 大和し美し版画巻》が買上げられ以降、棟方は柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司らを師匠と仰ぎ、生涯交流が続くこととなります。

河井の紹介で棟方は富山県福光(現南砺市)の真宗大谷派の光德寺住職・高坂(こうさか)貫昭(かんしょう)と知り合いました。高坂住職の招きで福光に滞在した棟方は、福光の自然とそこに住む人々に魅せられ毎年この地を訪れることになります。そして以前から、高坂住職に光德寺の襖に絵を描いて欲しいと依頼されていたところ、同寺に滞在中の1944(昭和19)年5月のある朝、裏山へ行って強烈なインスピレーションを受け、「墨をすぐ、すぐ」と叫んで寺へ駆けあがり、墨と水を大筆3、4本にたっぷりふくませて、下に置いた襖の上でふりまわし、一気に「華厳松」と題する作品を書き上げました。

人生の運びというものは、不思議なばかりです。自分のはからいだけではどうにもならないもので、いわば成るように生かされていくのみだということを知りました。(中略)いままでの自力で来た世界とは違う、仏意の大きさに包まれた他力の世界へ自然に入ったのでした。富山という真宗の根付いた土地であればこそ、身をもって阿弥陀仏に南無する道に出会ったのです。それは板画も含めたすべてに通じる道でした。

(棟方志功『板極道』)