ただぎゃくほうしょうぼうのぞ
               (『真宗聖典 第二版』二三八頁)
(教学研究所所員・難波教行)

立教開宗の書と仰がれてきた『教行信証』には、師法然上人の著した『選択集』で示されなかった本願の言葉が探究されている。その一つが第十八願の最後の句である「唯除五逆誹謗正法」、いわゆる唯除の文である。
 

至心信楽の本願の文、『大経』に言わく、「設い我、仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて乃至十念せん。若し生まれざれば、正覚を取らじと。唯、五逆と誹謗正法を除く」と。已上

 

真宗の学びを始めて間もなく、私は「本願」とは誰であっても救う願いだと、ぼんやりとイメージした。ところが、根本となる第十八願に「唯、五逆と誹謗正法を除く」と記されているのである。それが一体何を意味するのか。なぜ『選択集』には第十八願が引用される際に唯除の文が示されず、『教行信証』では示されるのか。そうした事柄が真宗の学びへの契機にもなった。
 
両書における異なりは他にもある。『選択集』では第十八願が「念仏往生の願」と呼ばれ、「本願の中の王」と位置付けられている一方、『教行信証』では第十八願について「至心信楽の願」など、別の願名も用いられ、二願建立(第十七願・第十八願)や真仮八願(上記二願に加えて、第十一願・第十二願・第十三願・第十九願・第二十願・第二十二願)といわれるように、いくつかの願に言及されている。
 
こうした『選択集』と『教行信証』の違いもあって、ときに親鸞聖人が法然上人の教えを一歩進めたと受けとめられ、高校の倫理の教科書では「親鸞は師の法然の教えを継承し、発展させた」などとさえ説明されてきた。しかし、親鸞聖人は法然上人の『選択集』に発展の余地があると考えて『教行信証』を著したわけではない。それは、親鸞聖人が法然上人を「真宗興隆の大祖」と仰ぎ、『選択集』を「真宗の簡要、念仏の奥義」が摂在している書と受けとめていることからもうかがわれる。親鸞聖人にとって、浄土真宗を開いたのは自らではない。それは、まぎれもなく法然上人である。
 
それでも親鸞聖人は、『教行信証』を執筆した。その事実は、阿弥陀仏の本願の教えを説く人に出遇っても、人間の課題がなくなるわけではないことを告げている。いや、本願を説く人に出遇ったからこそ見出される課題があるのだ。
 
その課題とは、仏の本願を聞いたところに浮かび上がる“仏に背き続け「唯除く」といわれる人間のすがた”である。それは、「浄土こそ真宗である」と教えられてなお、「真によるべき宗」ではないものを宗としている私のすがたともいえる。そのことが唯除の文としてすでに第十八願に説かれていると受けとめ、親鸞聖人は探究を続けたのではないか。ならば親鸞聖人は、法然上人の教えを「発展させた」というよりも、「自らの身上において明らかにした」というべきである。
 
昨年(二〇二三年)、親鸞聖人の御誕生八百五十年とともに、立教開宗八百年の年として、慶讃法要が勤まった。本年(二〇二四年)は、浄土宗開宗、すなわち、法然上人が本願念仏の教えに帰して八百五十年の年である。しかし、二人によって浄土真宗が開かれたのだからといって、私自身の課題まで消えてなくなったというわけにはいかない。本願を聞く者一人一人には課題がある。その課題とどう向かい合えばよいのか──。
 
その指標となる人こそ、宗祖親鸞聖人である。


(『真宗』2024年8月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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