沖縄のハンセン病問題
~社会で暮らす回復者の課題~

沖縄開教本部長・沖縄別院輪番 長谷 暢

  

 沖縄でも新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、ようやく落ち着きを見せ始めた2022年9月、沖縄県が設置した「沖縄県ハンセン病問題解決推進協議会」(以下「協議会」)の第一回目の会議が、県庁で開催された。公開されている議事概要には、退所者の神谷正和さん、宮古南静園の自治会兼「沖縄ハンセン病回復者の会」(以下「回復者の会」)の共同代表である知念正勝さんの名前がある。しかし、沖縄愛楽園の自治会委員や、ハンセン病回復者家族からの委員名は非公開となっている。実は神谷さんも、この会議の直前までは自身がハンセン病回復者であることを公にはしていなかった。彼になぜこのタイミングで公にしたのかと問うと、「本当はこの協議会には「回復者の会」共同代表の平良仁雄さんが出るはずだったけど、体調不良で参加できない。もう一人の知念さんも体調が芳しくなく、もしかしたら欠席となるかもしれないと聞き、退所者として誰かちゃんと名前を出して出席しないといけないと思って、「もう隠すのはいいや」と思い切ってカミングアウトしたんだよ」と話してくれた。「らい予防法」が廃止されて26年、ハンセン病国賠訴訟原告勝訴から21年、ハンセン病家族訴訟勝訴から4年を経て、県という公の場で開催されるハンセン病問題解決に向けての会議でのことである。これが沖縄、いや日本のハンセン病問題の現在の状況なのである。

 また、2019年に勝訴したハンセン病家族訴訟後、その補償金の申請を行う人が想定の3分の1程度ということで、申請の期限が2024年からさらに5年延長されている。家族訴訟の原告561中の約4割が沖縄の原告であることから、申請していない家族の中には、沖縄の人も多く含まれていると推定される。申請しない家族は、回復者家族であることを世間に知られるのを避けるためという人もいるという。ここにもハンセン病問題の根深さが表出している。

 さて、この協議会の要綱には「協議する事項」として主に二つのことが掲げられている。一つは「ハンセン病問題の啓発の取組に関すること」、そしてもう一つが「ハンセン病回復者等の福祉の増進に関すること」とある。ハンセン病療養所の入所者の方々においてはその福祉の状況はそれなりに進んでいると思われるが、療養所の外で暮らす回復者の状況は厳しいものがある。そのために、2018年から社会で暮らす回復者が沖縄県に要望を始めた結果、2022年になって県が協議会を設置したのである。どのような要望をされてきたのか、その経緯をたどってみたい。

 2018年1月「沖縄ハンセン病回復者の会」が結成された。共同代表には二人の退所者、平良仁雄さん(沖縄島)と知念正勝さん(宮古島)が就任した。入所者の高齢化が課題となっているが、退所者も同様に高齢化が進み、それぞれに現状と将来に大きな不安があった。そこで2018年5月8日、平良さんらは「回復者が地域で当たり前の生活ができる社会づくりをお願いする」ために沖縄県庁に出向き、故翁長雄志元県知事に次の四点を要望した。

1 退所者・非入所者の医療・介護などに関する回復者が受診できる体制の整備

2 地域生活を支える相談支援・同行支援・交通支援体制の整備

3 ハンセン病問題に関する啓発事業の強化

4 国への働きかけ、療養所の将来構想への取り組み

 この中で1、2の要望が特徴的である。社会で暮らす回復者は、病院にかかる際に今もハンセン病という既往歴を語ることができず、適切な診療が受けられない場合がある。また、ハンセン病の後遺症は介護認定には反映されにくく、その症状が医療や福祉に携わる方々でもあまりよく知られていないという実態があるという。また、後遺症の一つである足裏の傷の治療にいたっては、1~2時間もかけて愛楽園にまで行く人も多くいるが、高齢化が進む中、自分で遠路の運転をすることが難しくなりつつある。

 そのため、住み慣れた家族も暮らす地域を離れ、再び遠く離れた療養所へ再入所せざるを得なくなるのではないかという不安が退所者にはある。実際、近年療養所には一定数の再入所者がいる。ただ、再入所は退所者の方々の当然の権利であり、そうすることに特に問題があるわけではない。しかし、その理由が社会で暮らし続けることができないというのであれば、社会の側には大きな問題が残る。

 これらの問題の解決の一つとして、信頼のおける医療ソーシャルワーカーが同行し、小さな地域社会でもプライバシーが十分配慮される中で、地域で医療を受けられるよう求めたのである。同様の回復者支援を行っている大阪府などを先行事例として、全国の退所者の約半数が沖縄に暮らしており、高齢化に伴い問題の深刻さが増していくという不安から、沖縄県にも退所者の支援を行ってほしいというのが要望であった。また、以前から沖縄県には、厚生労働省が退所者を支援する業務を受託する組織があるが、退所者のニーズとマッチしておらず、このことも含めてあらためて県に訴えたのである。

 これまで社会で暮らす回復者の課題は、取り残されてきた感がある。確かにハンセン病問題は「隔離の被害」であるが、その「隔離を推し進める社会」で暮らす回復者もまた、「らい予防法」の被害者であることは言うまでもない。そして、その被害は入所者に比して軽いものではないだろう。退所者・非入所者やその家族は、社会の中でこれまでも現在も差別に曝され、ひっそりと「隠れて」暮らしている人が多くいる。隠さなければならない社会が今もあるということではないだろうか。

 沖縄県をはじめとする行政は無らい県運動などを通して、ハンセン病患者・回復者・家族への差別を助長し続けてきた。「らい予防法」が廃止されてその「助長」はなくなったが、作り出され増幅された「差別」は今も惰性で転がり続けている。「助長」したのと同じだけの努力をしなければ、その差別は解消されないのではないだろうか。

 ハンセン病問題の全面的解決を望む平良仁雄さんは、ことあるごとに「判決から四半世紀、私たちが隠れて暮らさなければならない実態は何も変わっていない。変わらなければならないのは私たちですか」と問いかける。私たち真宗の僧侶も、隔離政策に加担してきた歴史をもつ者として、同じく問われていると受け止めている。過去を変えることはできないが、これから私たちがどう向き合うかは、現在の私の課題である。

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2024年10月号より