おはようございます。2004年12月に起きたスマトラ沖地震、そして津波では信じられないほどのいのちが奪われました。フォトジャーナリスト広河隆一さんが編集している『デーズジャパン』誌には、津波被害者の家族が、大地を叩いて悲しむ姿が掲載されていました。
このスマトラ沖地震の津波で、海岸部を中心にして20数万人が犠牲になったと聞きます。本当に心塞がれる思いです。スマトラ沖から遠く離れたスリランカの海岸部にも津波は大変な被害をもたらしました。私にはスリランカに古くからの知人がいます。津波が押し寄せてきた海岸にペンションを経営しています。津波襲来以来、その家族の安否を心配して、何度も、電話連絡していました。ようやく、一ヶ月後に、彼と連絡が取れました。生きていました。無事でした。電話の向こう側で、「自分たち家族は本当に幸運だった」と弾んだ声が聞こえました。しかし、その時、彼は同時に「たくさんの人が亡くなった」と、声を詰まらせていました。彼はもともと敬虔な仏教徒で、自分の腕に吸い付く蚊さえも叩くことのできない人でした。自分の喜びの向こう側に、多くの人たちの悲しみがあることを見失わない人でした。だから、いまは多くの被災者の悲しみを背負って、被害地域復興のために東奔西走しています。
私は彼の「たくさんの人が亡くなった」という声を聞きながら、喜びの裏側に悲しみがあり、悲しみの表側に喜びがあるという、どうしようもない現実にしばし心奪われていました。私たちは、悲しみにあえば悲しみだけ、喜びにあえば、喜びだけ。どちらかしか見ません。そのどちらかに偏るのではなく、喜びと悲しみの、この両面をきっちりと見ていかないと、人の世の真実は読めないのだと彼のことばから教えられました。
一昨年の秋に98才になる母が命終りました。2年間弱の寝たきり状態でした。母からたくさんのことを学びました。人が生まれ老い病み死んでいく生死の問題を具体的なすがたで教えていただきました。あるとき母に老いるとはどういうことですかと聞いたことがあります。母は老いることを、一言で、「たくさんな人とお別れしていくことです」といいました。
たしかに母は私の住んでる村では2番目の高齢者でしたから、同級生も、お仲間も、だれもが命終わられた方ばかりです。たくさんの人たちの死を見つめてきたのです。生きるとはたくさんの出会いだけではなく、たくさんの別れの経験なのです。妙に心に残る母の言葉でした。
親鸞聖人に「生死の苦海ほとりなし/ひさしくしずめるわれらをば/弥陀弘誓のふねのみぞ/のせてかならずわたしける」というご和讚があります。生まれた限りは死ななければならない。生きるとは死につつあるということ、出会いとは別れていくこと、そういう、思うようにならん私、それこそが、生死の苦海を生きる私の実態です。その苦悩する私、生死の苦海を生きる私、その私に、阿弥陀という名の仏さまが、願いをかけてくださっています、と親鸞聖人は教えています。
思えば、私たちの生き方は、現実が自分の都合に合えば喜び、自分の都合に合わなければ悲しむというように、自己中心的な分別心のなかで、苦しむ自分、悲しむ自分を悪しきものとして切り捨て、喜ぶ自分、楽しむ自分を善きものとして生きています。
このような自分で自分を差別するような生き方こそが、「それでいいのか」と問われ、願われている当体です。御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」とは、そういう自分勝手に行き続ける私を、文字通り、「それでいいのか」と問うてくださる阿弥陀の本願を言い当てようとすることばなのです。