ラジオ放送「東本願寺の時間」

尾畑 文正(三重県 泉稱寺)
第5話 今、いのちがあなたを生きている [2006.1.]音声を聞く

おはようございます。寒さもいちだんと厳しきなってきました。世界的にインフルエンザが流行っているようです。ヨーロッパも、アジアも、アメリカ大陸も、みんな、風が吹けば桶屋がもうかる式に、すべてがつながりあっています。ここからここは内の問題。あそこからあそこは外の問題。そんな垣根もなければ、境界もないのが、事実としての私たちの世界のありようです。インフルエンザで知る世界のつながりの深さです。
かつて、世界で最初に宇宙飛行士となった旧ソビエト連邦のユージン・ガガーリンはその時の感動を「地球は青かった」と言いました。彼は国境もない、民族、人種の違いもない、地球という名の一つの世界を見たのでしょう。
国籍、民族、人種、宗教の違いを立てに、争う必要のない世界を青い球体に夢見たのだと思います。しかし、彼が見た青い地球には、彼の夢とは別に、国籍、人種、民族、宗教、政治、経済の異なりで、互いを排除し殺戮しあう世界が充満しています。違いを認めることもなく、むしろ、違いを差別の根拠にしている世界です。
しかも、その対立は、多くの場合、多数者による少数者への排除と差別です。権力あるものの横暴として現れているのは歴史の示すところです。それは彼が人工衛星ボストーク1号で宇宙空間に飛び出した1961年も、今も全く変わらない私たちの世界の現実です。
大無量寿経には、私たち生きとし生きるものの弱肉強食の世界が「強きものは弱きを伏す」と描写され、力強きものが力弱きものを支配し、降伏させる様子を説いています。2001年9月11日にニューヨークでおきた貿易センタービル攻撃事件以降、世界は冷静な理性的判断を見失ったかのように、武力で以て問題を解決しようとする方向に突き進んでいるようです。
このような「強きもの弱きを伏す」というお経に描かれた弱肉強食の世界が続く限り、世界に本当の平和がやってくることはないでしよう。また、人類が幸福であることはありえないでしょう。「強きもの弱きを伏す」、究極の姿が戦争です。世界の何処かで戦争の状態がある限り、人間が人間であることは成り立たない。なぜなら、人間とは人と人との間を生きる存在だからです。人と人との間を否定するものこそが戦争であるならば、戦争がある限り、人は人であることができない。これが人間の鉄則です。
私は、他者の存在を排除し否定する戦争こそが、究極の人権侵害であると思います。世界の何処かに戦争の状態があれば、世界は平和ではないし、人間が人間らしく生きることはできないと考えているものです。だからこそ、あらためて、人を殺すことも、殺させることも否定したお釈迦さまの教えに立ち返えることの大切さを思います。
お釈迦さまの教えは、非戦平和の教えだと思います。それは、私という存在は、ただそれだけで成立ってていない。諸法無我、つまり、あらゆる存在はつながりあう存在だ、縁起としての存在だ、私という個人があるのではない。縁起として存在しているのだ。だから、人を殺すことも、殺させることも誤りであると、お釈迦さまは教えます。
すべてはつながりを生きる存在だというのです。まさに相互共存するいのちを生きているのが私たちです。だからこそ、私たちに無関係ないのちなどないのです。人の命を奪うことは、自分の命を奪うことです。世界と共にある存在、他者と共にある存在、そういう相互共存する存在、縁起する存在に目覚めるならば、戦争に代表される弱肉強食の世界は、まさにそういういのちを見失った世界です。
相互共存するいのちに目覚めよと、私たちを問うている言葉が、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」ではないでしょうか。

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