ラジオ放送「東本願寺の時間」

日野 賢之 (石川県 西照寺)
第一回 あの子はどこに音声を聞く

 今日から6回お話しします。石川県小松市の西照寺という寺の住職をしております、日野賢之といいます。どうぞよろしくお願いいたします。
 〝もうひと月になります。あの子はどの辺まで行ったのでしょうか〟
 お葬式のあと、7日ごとにおまいりにお伺いして、4・7日目、小さい子供さんをなくされたお母さんからこのように尋ねられました。
 7日ごとのおまいりは、いつも夜にお伺いしておりました。その時間ですと、家族の人はもちろん、ご親戚や両親のお友達、それに、ご近所の方も時々お参りできる時間帯だからです。
 いつもみんなでご一緒に親鸞聖人のお作りになられた正信偈をお勤めします。そのあと、お茶をいただきながらいろんなことを語りあうのですが、4・7日目のその夜はいろんな質問などが出てついつい長くなってしまいました。時計も九時を過ぎてしまいました。お先にといって皆さんが帰りはじめました。私もご一緒に帰らせていただこうと思ったのですが、玄関が混雑しているようなので、皆さんが帰られてから失礼しようと思って座っていましたら、御仏壇、真宗大谷派ではお内仏とお呼びしますが、そのお内仏のある部屋で、お母さんと2人きりになっておりました。そう思えば、お母さんと2人だけになったのは、その子供さんが亡くなられてから、初めてのことでした。
 そのときのお母さんからのお尋ねでした。私のおります石川県の加賀地方では(加賀地方だけではないかもしれませんが)なくなられた方の、そのあとのことについてどうやら2通りの話が伝わっているようなのです。そのひとつは、なくなられた方は、7・7、49日が終わると行ってしまわれるという話、もうひとつは、なくなられた方は、初めの頃は家にいるのだけれども、7日ごとに少しずつ遠ざかっていかれるのだという話、もちろんこれは本来、仏教の教えの中にはない話ですが、そのお母さんは、どうやらあとの方の話を以前に聞いておられたのでしょう。その上でのお尋ねであったということです。
 〝ちょっとまってください〟そういってからわたしは一応上の方をみあげました。"あっ、お母さん、なくなったボクはまだいるよ"と申しました。〝えっ〟とお母さんの驚いた声がかえってきました。〝だって、おかあさんと一緒にいくんだから、おかあさんがいる間中、ボクもずっといるんですよ。〟そう言うと、お母さんは突然、それこそ大きな声で泣き出しました。ないておられるお母さんをあとにして、私は帰りました。
 私の寺まで、夜のたんぼ道を自転車に乗ってお母さんに言ったことをおもいだしながら、ふっと2つのことが頭のなかに浮かんできました。
 ひとつは、正直、我ながら上手に答えることが出来たなあと。そうですね。〝お母さんと一緒にいくんだから、お母さんのいる間中ボクもずっと一緒なんだよ〟と。自転車のペダルがいつもより軽く感ぜられました。だけれども、そのつぎにどんなことが思いうかんだかといいますと、だけど、あんなようなことを言うてよかったんだろうか、ひょっとしたらとんでもない間違ったことを言ってしまったのではないだろうか、親鸞聖人の教えの中で、どこにもおっしゃっておられないようなことを言うてしまったのではないだろうかと。当然、自転車のペダルは、ズウンと重くなりました。
 それから2、3日なんとなく気持ちがすっきりしませんでした。これはもう住職失格なのでは、と思うほどでした。
 この続きは、来週お話しいたします。

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