「あけましておめでとう」お正月になれば、どこの家庭でも交わされるあいさつです。しかし、いったい何がおめでたいのでしょうか。ごちそうを食べたり、お年玉をもらったりできるからでしょうか。一つ歳をとって大きくなったからでしょうか。そのめでたさの中身をちょっと考えてみるのが元旦のおつとめ(修正会)です。
去年はあまり良いことがなかったけど、今年はきっと良いことがあるだろうと、新しい年に望みをもつのは当然のことと言えましょう。しかし、何でも望みどおりになった年など、今までにあったでしょうか。結局、去年のいやなことを忘れ、お正月に新しい夢を見る、そんなことを毎年くり返しているのではないでしょうか。
いのちが無限に続くならば、それでもいいかもしれません。しかし誰もが必ず死を迎えます。しかも、自分がいつ死ぬかは誰にもわかりません。いのちには限りがあるということを知り、夢から覚めることが大事です。そうでないといくつになっても「今年こそは」といいながら、もう二度と戻ってこない「今」という大切な時を無駄に過ごしてしまうことになります。
親鸞さまは、人間が生きていくうえでなくてはならないことを「真宗」という言葉で示してくださいました。真宗に出遇えば、誰もがどんな状況の中でも、いきいきと生きることができると教えておられるのです。
自分の好きなことだけを求める生き方は、逆にいえば、いやなことが起こるのではないかといつもびくびくしている生き方です。ところが現実は、自分の望みに反していやな問題がたくさん起こってきます。そのような中で、いやな問題であっても受け止めていけるのは、自分の好き嫌いよりももっと大切なことがあると気づいた人です。
私たちにとって何が本当に大切なことであるかそれを改めて考えるのが元旦のおつとめ(修正会)です。
「ほとけの子」 冬のしおり 修正会
『真宗 -本当にたいせつなこと-』 (大谷大学専任講師 一楽 真)