「感染症法」等の改正に抗う─「二度と同じ過ちを繰り返さないでほしい」という願いへの呼応─

 「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」真相究明部会チーフ 訓覇 浩

  

■「感染症法」改正案可決と宗派声明

 去る2021年2月3日、新型コロナウイルスの感染拡大に対応するとして、罰則を設ける「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(「感染症法」)等の改正案が国会で可決、成立しました。国民に対して新たな罰則を定める内容を伴うものであり、本来慎重な審議が求められる法案でありますが、コロナ対策の実効性を高めるためには早急な制定が不可欠、という政府の意向のもと、実質国会審議わずか四日での可決となりました。

 改正法案には、新型コロナウイルスに感染した患者等が入院措置に応じない場合や、入院先から逃げた場合の懲役刑、罰金刑などの新設が盛り込まれていました。そして、これら改正案の内容が明らかになった1月半ば以降、医学、医療、保健、福祉、公衆衛生、法律、宗教、そしてハンセン病回復者や患者当事者団体などから相次いで強い反対、懸念が表明されました。その声明の数は60本にのぼります。

 真宗大谷派も1月29日付で、宗務総長名の声明を発表(本誌3月号に全文掲載)。「真宗大谷派は、感染症拡大防止自体に反対するものではありません。しかし罰則をともなう改正は人間の尊厳を尊重する社会の実現に反するものであるとして、断固として反対いたします。それは病を得た人たちに対する人権侵害を引き起こし、新型コロナウイルス感染拡大のもとで広がる深刻な分断や、排除の思想・感情を増幅させ、かえって治療を拒否したり病歴を隠すといった恐れがあり、感染拡大につながる可能性があります」と訴えました。

 しかし、改正案は刑事罰が行政罰に変更されるなどしただけで、罰則を新設するという基本的性質を変えることなく可決され、2月13日に施行されました。

  

■コロナ下で生み出された新しい差別と「感染症法」改正

 この法改正の論議が始まる1年前、日本で初めての新型コロナウイルスの感染者が確認され、その後、またたく間に感染は拡大、昨年四月には緊急事態宣言が全国に出され、感染拡大は消長を繰り返しながら、現在も終息を見通せない状況にあります。

 その間、ウイルスの感染拡大とともに生み出され、広がっていったのが「コロナ差別」という、「病」に関わる新しい差別です。私の住まいする地域でも、感染者が確認されたという報道がなされると、個人や住居が特定され、本人や家族の職場、行動履歴までがネット上などで拡散されました。そこには感染を非難し責任を追及する書き込みがあふれ、果てはその家に対する投石や誹謗の落書きなどにもつながりました。このような事例は、全国で絶え間なく起こっていると報告されています。

 自粛要請が強まる中、未知のウイルスや生活に対する危機感、不安感が増大し、「自粛警察」という言葉が表すとおり、正義感が絶対化され、それは攻撃的な排除の感情、行動となって、病を得た人や家族、さらには医療従事者にも向けられました。自らの行動が正当化された、加害意識のないあらたな病者差別が生み出され、異論をはさむことをゆるさない「同調圧力」は、「ウイルスより人の目が怖い」という顛倒した社会を形成していきました。私たち市民一人ひとりが、無自覚のうちに、病を得た人に「病とは別の苦しみ」を与える、差別加害者となっていったのです。

 今回の「感染症法」改正は、このような状況下で行われたものであり、感染者への罰則規定は、まさしく、この差別、排除の行動にさらなる正当性を与え、自らの差別性に覆いをかける役割を果たします。それを人間の闇というなら、ますますその闇に覆いをかけ、闇を闇と気づかなくするはたらきをも持つものと言わねばなりません。人間にとってこれほど恐ろしいことはないのではないでしょうか。

  

■ハンセン病回復者の願いに応えるということ

 今回の法改正において、とりわけ強い反対の意思表示を行ったのが、ハンセン病回復者やHIV感染者など、国や社会から、酷い差別と偏見のまなざしに晒されてきた人たちでした。

 「ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会」の声明では、「わたしたちの被害は、必ずしも、実際に強制力によって隔離されたことによってのみ生じたものではありません。むしろ、強制力によって隔離されるべき者として、法律上位置付けられてしまったことによって生じたものです。それによって、わたしたちは、激しい偏見・差別の対象となり、社会の中で居場所を失いました」と述べ、今回の罰則規定が同様のはたらきをするものであると、厳しい反対の意思が表明されています。また「全国ハンセン病療養所入所者協議会」の表明には、「二度と同じ過ちを繰り返さないでほしい」との強い訴えがなされています。

 それは、患う者であることをもって社会から排除されなければならない者とされてきた、国のハンセン病隔離政策の被害者であるがゆえに実感される、コロナ下の社会に対する強い危機感からの訴えであると思います。「感染症法」の前文には、「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と謳われています。今回の改正は、過去の多くの犠牲者の苦しみに立った、「感染症法」の立法の精神にも背くものであり、その苦しみと闘いの歴史を無きがごとくするものと言わねばなりません。そのことは、当事者の方に、差別の傷をもう一度切り裂くような痛みを与えることになるのではないでしょうか。二度と自分たちと同じ苦しみを与える社会を作ってはいけないという、隔離の被害者の強い願いに、私たちは真摯に応えていかなければなりません。

 隔離政策に加担してきた真宗大谷派にとって、その願いに応えるということが、まず、しっかりと宗派声明を出すということであり、そして声明の結びの言葉である「悲しみと痛みの共有からはじまる、すべてのいのちが共に生きあえる社会の実現」という願いに、立ち切ることではないでしょうか。

 社会の形によって、いつでも差別、排除する立場になりうる私たちであるからこそ、かつて肯(うべな)った隔離が正当化される世界を、もう二度と求めないという確かな態度が、「感染症法」改正によって、強くいま求められているのだと思います。

 

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2021年5月号より