宗祖親鸞聖人における聖徳太子
(都 真雄 教学研究所助手)

今年は聖徳太子の千四百回忌にあたることから、太子に再び注目が集まっている。真宗寺院においても、余間に絵像が掲げられる等、太子は尊崇されている存在である。
 
ところが、その太子について学ぼうとすると、多くの論考や伝承によって、様々な太子像が描かれており、どこか捉えどころがない。そのためか私にとって太子は、長年、身近に感ずることができない存在だった。
 
そこで改めて、現存する多くの太子和讃を読み返し、宗祖親鸞聖人にとって太子がどのような存在であるのかを確かめなおした。その中で、感情に変化が生まれてきた。諸説あるにしても、宗祖にとっての太子が、自分にとって最も重要であると気づかされたのである。
 
宗祖は、九歳で出家し、二十九歳まで天台宗の僧侶だったという。この頃の史料は乏しく、私は時代背景や、天台宗の思想や状況等についてまで、詳細に知ろうとしなかった。それらを改めて確かめる中で、若き宗祖を想った。宗祖は、当時、未来に法然上人と出遇うとは思っておられないはずである。その頃、どのように感じておられたのか、そのことを想いめぐらした。その時、不意に宗祖の孤独や不安について考えるようになった。
 
宗祖は、親元を離れ入山し、私たちが知るような家庭生活を送らず、堂僧をつとめていた。叡山での厳しい修行の間、思う以上に、孤独や不安があったかもしれない。
 
そう思った時、「皇太子聖徳奉讃」(『真宗聖典』五〇七~五〇八頁)が、宗祖の感情を表す切実な言葉に感じられた。和讃の中で、太子は繰り返し父や母に喩えられ、人々を護持養育し、浄土へ導く存在として述べられている。宗祖にとっても、太子は苦悩する時、常に寄り添う存在であったのだろう。和讃の言葉によって、そのことを感ずるようになったのである。
 
この和讃の成立は定かではないものの、晩年のものと言われている。しかし宗祖が叡山におられた頃、既に太子信仰は広まっており、また天台宗でも太子は尊崇されている。また宗祖は、法然上人を勢至菩薩と仰ぐ一方で、太子を救世観音とされている。若き頃、六角堂でその救世観音から夢告を受けている。それらを考え合わせると、宗祖は法然上人のみを敬慕するのでなく、太子のことも浄土へ導く親のような存在として敬慕されていた。それも晩年のみでなく、長期にわたるものであったように思われたのである。
 
「それ以来、尊崇するとまでは言えずとも、かつてより太子が身近な存在となっている。

(『真宗』2021年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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